コンビニの自動ドアが閉まる音は、妙に遠くへ響いた。夜の棚は整いすぎていて、そこに立つ店員の顔だけが、やけに現実味を持っていた。僕はレジの前に立ち、袋の中の激辛カレーと、さっき見つけた保湿ローションを抱えたまま、喉の奥で言葉を探した。 「前の世界で、僕はあなたに何をしたんですか」 店員は一度だけ瞬きをした。レジの表示灯が彼の頬を青く照らす。『言うべきか』『もう遅い』『それでも返す』。吹き出しはいつも通り静かだったが、今はその静けさが重い。 「あなたは私を庇いました。正確には、最後の扉の前で、私の役目を引き受けた」 「役目……」 「私は逃げました。その借りを、ずっと持っていたんです」 胸の奥で、古い鐘が鳴った。逃げたのは誰か、守ったのは誰か。断片だった記憶が、ひとつの線になって伸びる。僕は勇者だったのではなく、世界の綻びを閉じるために、自分の声を差し出した人間だったのかもしれない。 「だから、こんな危険なことを」 「ええ。今度は、あなたが死なない形を探したかった」 店員は棚の下から、白い容器を取り出した。保湿ローションの瓶だ。僕は思わず眉をひそめる。『それが何になる』と吹き出しに出かかったが、彼は先に答えた。 「封印に使うのは、辛さでも熱でもない。摩擦を消すことです。感情がぶつかり合う瞬間に、余計な抵抗をなくす。世界を閉じる儀式は、その滑りやすさで成り立つ」 乾いた笑いが漏れそうになった。こんな日用品が、世界の運命を支えるだなんて。 「つまり、あの連中は」 「感情をため、最後に一斉に解放する。そのとき、場の滑りを作るのがローションの役割です。だから私は流通に紛れ込ませた」 思わず頭を抱えた。保健室、値札、レシートの数字、すべてが一本の儀式の線だったのだ。僕の頭上には『ふざけてるのか』『でも理屈は通る』『最悪だ』が渦を巻く。だがその渦は、今までよりずっと扱いやすい。僕は深く息を吸い、吹き出しをひとつずつ並べ直した。恐怖、怒り、迷い、そして守りたいという願い。散らばった本音を束ねると、不思議と先の見える形になる。 「準備はできるか」 と店員が言った。 「できます。多分、もう逃げません」 その答えに、彼は少しだけ目を細めた。『よし』『間に合う』『扉はまだ固い』。僕はレシートの裏に描かれた図を広げる。学校の音楽室、その地下、儀式の中心。そこへ至るには、僕の心の声を武器にするしかない。隠すためではなく、束ねて放つために。 「吹き出しを、切り札にする」 呟くと、文字が静かに整列した。『怖い』『でも行ける』『取り戻す』。まるで、前の世界で失った仲間たちが背中を押しているみたいだった。 店員は最後に、レジ横の小さな袋へローションを入れ、僕へ差し出した。 「前世の恩義は、これで返し終わりではありません。ですが、次に必要なのは私ではない。あなた自身です」 袋の中で瓶がかすかに鳴った。僕はそれを受け取り、頷く。外では、学校の方角に向かって風が強くなっていた。あの静かな同級生たちが、もう一度大きな波を起こす前に、こっちが先に中心へ辿り着く。僕は自分の頭上に浮かぶ文字を見上げ、笑わずに言った。 「今度こそ、閉じる」
吹き出す本音とカレー
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