エラベノベル堂

女優の仮面の下へ

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2章 / 全10

翌朝、アパートのインターホンが鳴った。怜がドアを開けると、黒いスーツを着た男が立っていた。三十代半ばくらいだろうか。銀縁眼鏡の奥に、冷ややかな視線がある。 「紗英様はいらっしゃるか」 「……誰ですか」 「私は黒木。紗英様の実家から派遣された者だ」 黒木と名乗った男は、怜を一瞥しただけで、値踏みするように無視した。その態度に、怜は小さな違和感を覚えた。 「紗英! いるんだろう」 黒木は怜を押しのけるようにして部屋へ入ってきた。ソファで眠っていた紗英が、びくりと体を震わせる。 「黒木さん……どうしてここが」 「君の行動はすべて把握している。劇団代表が家出した時点で、君がここへ来る可能性は予測済みだ」 黒木は怜の方を向き、鼻で笑った。 「君が怜君か。芸術大学の学生だそうだね。将来のあてもない、無能な学生に紗英様を預けるわけにはいかない」 「黒木さん、彼は関係ないわ」 「関係ある。君の身辺管理は私の仕事だ。こんな薄汚いアパートに、劇団の看板女優を置いておくなど言語道断」 怜は黙って二人のやり取りを聞いていた。黒木の言葉には、紗英への敬意など微塵もない。彼女を管理すべき対象としてしか見ていない。 「黒木さん、私の荷物は?」 「マンションから必要なものだけ回収した。着替えと、今夜の食事の差し入れだ」 黒木が差し出した袋を受け取りながら、紗英は窺うように怜の方を見た。その表情に、疲労と諦めが混じっている。 「……ありがとう」 「紗英様、実家の方々が心配されている。早々にこのような場所から立ち去り、本来の生活に戻られるよう」 黒木の視線が、再び怜に向けられる。 「君には迷惑をかけた詫びをしよう。いくら必要だ」 「いりません」 怜は静かに答えた。 「いらない? ほう、プライドか。だが現実を見たまえ。君ごときが紗英様の生活に関与できる立場ではない」 怜は黒木の冷徹な目を見返した。この男は、紗英を実家の操り人形にするために存在している。彼女の意志など、最初から眼中にないのだ。 「紗英さんには、ここにいてもいいと言いました」 「それは君の都合だろう。紗英様、どうする?」 紗英は一瞬、怜の方を見た。その瞳の奥に、助けを求めるような光が揺れる。だが彼女はすぐに表情を整え、完璧な女優の顔を作った。 「……もう少しだけ、ここにいさせて。代表の件が落ち着くまで」 黒木は舌打ちを抑え、咳払いをした。 「わかった。だが、毎日の報告はしてもらう。食事の内容、睡眠時間、誰と会ったか。すべてだ」 黒木が去った後、アパートには重苦しい沈黙が残った。 「ごめんね、怜君。巻き込んでしまって」 紗英の声は、やはり完璧な演技のように響いた。怜は彼女を見つめながら、その仮面の下にある本音を探ろうとした。この共同生活は、想像以上に複雑なものになりそうだった。

2章 / 全10

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