朝の光が、厨房の奥から白く差し込んでいた。夜の冷えはまだ残っているのに、食堂へ運ばれた椀から立つ湯気が、それを少しずつ追い払っていく。私は昨夜と同じ鍋の前に立ち、木べらを握り直した。だが、そこで腕を組んで立つ給仕係の魔族が、露骨に眉をひそめた。 「勝手に塩を増やすな。香草も勝手に混ぜるな。厨房には厨房の規則がある」 低い声だった。規則、という言葉に私は一瞬だけ固まる。けれど椀を手にした周囲の魔族は、まだ眠たげな顔のまま、湯気の向こうでこちらを見ていた。昨日のスープは受け入れられた。なら、次は彼らの好みを探るしかない。 私は鍋を指して、できるだけ落ち着いた声を返した。 「同じ味ばかりだと、誰かには重いかもしれない。少しずつ変えたいんです」 給仕係は鼻を鳴らしたが、完全には退かなかった。そこで私は、残っていた根菜を刻んだもの、豆を多めに潰したもの、干し肉の旨味を強めたものを、別々の小鍋で試すことにした。火の入り方を変え、塩の量を変え、最後に香りだけをほんの少し添える。椀を差し出すたび、食堂の空気がわずかに変わる。甘みの強いものを好む者、塩気を求める者、舌に刺激の少ないものを好む者。魔族たちの反応はばらばらだったが、その違いこそが手がかりだった。 給仕係は最初こそ口うるさく口を挟んだが、私が味見を重ねるたび、少しずつ黙って見守るようになった。椀を持つ手が震えたままの者には温めを強くし、匂いに敏い者には香草を減らす。誰かのために調えるたび、厨房の規則より先に必要なのは、食べる者を見る目なのだとわかってくる。 そのとき、奥の席でひとり、魔王が黙ったまま椀を手に取った。周囲が息をのみ、給仕係の背筋が硬くなる。魔王は何も言わず、ただ一口、口に運んだ。表情は変わらない。それでも、椀を置く指先がほんのわずかに緩むのが見えた。 次の瞬間、魔王の視線がこちらへ向いた。 「味そのものだけではないな」 低く、短い声だった。 私は返事をする前に、喉の奥が熱くなるのを感じた。 「食べる者を、気遣っている」 魔王はそれ以上何も言わず、もう一口だけ口にした。食堂のざわめきが静まり、給仕係もまた押し黙る。沈黙の中で、私は自分の居場所が、鍋の火だけでなく誰かの一言によって形を持ち始めたのを感じていた。 やがて魔王は椀を置き、私を見る。 「正式に、料理番として置こう」 その言葉は予想よりもあっさりしていて、けれど胸の奥に深く落ちた。私はようやく、ここで火を守るだけではなく、食卓そのものを任されるのだと理解した。
魔王城厨房、和解は湯気の向こう
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