町を離れて半日も飛ぶと、空の色は見慣れた青ではなく、白くほどけた布のような霧に包まれた。森の上へ差しかかるころには、木々の梢さえ淡くにじみ、前方は数歩先の夢みたいに頼りなくなる。リナは操縦輪を握る手に力を込めた。 「こんなの、道があるのかどうかもわからないよ」 「道そのものは見えなくても、風は消えない」 後ろからユノが言った。彼女は目を細め、機体の横を流れる霧の筋を見ている。 「右。少しだけ。霧の切れ目が揃ってる。たぶん大きな木の間を抜ける風」 トオルはすぐに補助翼の角度を調整した。機体が細く唸り、見えない流れに乗る。霧の中を縫うたび、地図の断片に描かれていたうねる線が、ただの飾りではなく風の道筋だったのだとわかってきた。 やがて森の中心で、三本だけひときわ高い樹が並んでいるのが見えた。朝にはなかったはずの影が、その根元から北へ長く伸びている。リナは息をのんだ。 「北の風、三つ目の影」 断片の言葉と重なった瞬間、トオルが計器の下から小さな金属板を引き出した。地図の隅にあった古い印と同じ形の窪みがあり、そこへ光が差すと板の上に新しい線が浮かびあがる。次に示されたのは、森を抜けた先の峡谷だった。 峡谷では風が豹変した。上昇気流と下降気流が絡まり、機体は葉っぱみたいに持ち上げられたり沈められたりする。岩壁に沿って渦が生まれ、少し油断すれば横倒しになりそうだった。トオルの額に汗がにじむ。 「左の羽根、反応が遅い」 「壊れたの?」 「壊れる一歩手前」 言うが早いか、彼は片手で操縦を支えながら工具をくわえ、足元の点検蓋を開けた。リナは胸が冷えるのを感じつつ、両手に魔法の光を集め、機体の揺れを少しでも和らげる。ユノは岩肌の裂け目を次々指さした。 「あの細い影の列をまっすぐ。谷の真ん中は危ない、壁際のほうが風が読むやすい!」 三人の声が重なり、機体はどうにか峡谷を抜けた。外へ飛び出した瞬間、眼下に空中市場の町が広がる。色とりどりの布屋根が幾重にも吊られ、香辛料の匂いと笑い声が風に乗って届いた。 そこで彼らは、もう一つの機体を見つけた。深い青に塗られた流線形の船体。甲板に立つ若者たちの胸元には、金色の羽根章が光っている。町でも噂を聞いたことのある冒険者集団だった。先頭の青年が、リナたちの地図をちらりと見て口端を上げる。 「君たちも宝探しか。悪いけど、名を刻むのは僕らが先だ」 その一言だけで、胸の奥に火がついた。市場で次の手がかりを探すあいだも、彼らは一歩先を歩き、古文書の店でも風見塔でも、いつも背中だけを見せていく。焦りは足音を速めたが、速くなったぶん見落としも増えた。リナが間違った通路へ入りかけたとき、ユノがそっと袖を引く。 「急いでるのは向こうも同じ。私たちまで見えなくなったらだめ」 夕暮れ、港の端に機体を止めて乾いたパンをかじりながら、リナは赤く染まる雲を見上げた。宝物を見つけたい気持ちは本物だ。けれど、それは誰かに勝つためだけだっただろうか。祖母の言葉が、遠い鐘みたいに胸の底で鳴る。向かいではトオルが黙って翼の傷を磨き、ユノが明日の風向きを空の色で読んでいた。その横顔を見ていると、地図の先にあるものより、ここまで一緒に来たことのほうが少しだけ温かく思えた。けれどライバルの青い機体が先に夜空へ浮かぶのを見た瞬間、その温かさの中に、負けたくないという鋭い光もまた確かに灯った。
雲上の塔、心を灯す結晶
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