エラベノベル堂

潮岬の灯へ、十年越しの便り

全年齢

小説ID: cmneirtr5000g01n3tngv0i6s

6章 / 全10

話し合いが重ねられるほど、町の空気はむしろ不安定になっていった。歩み寄りが見えたぶん、少しの行き違いが前より深く刺さる。役場では予算の再計算が難航し、港では工期の遅れを心配する声が強まった。商店街では、どうせ形だけ残して終わるのではないかという疑いも消えない。澪は誰かの言葉を運ぶたび、それが別の誰かの胸でどう響くのかを思い知らされた。届けば終わりではない。届けたあと、受け取る側にもまた選ぶ時間があるのだと知った。 そんな折、岬へ続く旧道の脇で、小さな崩れが起きた。大雨の翌朝で、幸いけが人はいなかったが、役場は安全確認が済むまで通行を制限すると決めた。たったそれだけのことなのに、町にはすぐに別の噂が広がった。このまま旧道は閉じられる、灯台も立ち入り禁止になる、再開発の都合のいい口実ができたのだと。澪は胸がざわつくのを抑えきれなかった。これが手紙の言っていた出来事なのかもしれない。崩れたのは土だけなのに、人の気持ちは一気に離れていく。 夕方、澪は制限のかかった道の手前で立ち尽くした。柵の向こうに見える灯台はいつもと同じ白さなのに、急に遠い場所になった気がした。そこへ真尋が駆けてきた。役場の担当者が今夜、公民館で急ぎの説明をするらしい、と息を切らして言う。けれどこのままでは、誰も説明を聞く前に結論だけを信じてしまう。 澪はその瞬間、未来の手紙の文字を思い出した。未来は決まっていない。あなたが誰に手紙を届けるかで変わる。自分が届けるべき相手は、もう一方の陣営だけではない。いちばん先に届けるべきなのは、いま不安で耳を閉ざしかけている人たち全員なのだ。 公民館へ向かう前に、澪は商店街と港を走った。店先で顔を曇らせる人に、旧道は調査のための一時制限だと伝えた。港の作業場では、保存案そのものが消えたわけではないと説明した。志乃には写真を、公民館へ持ってきてほしいと頼んだ。草介老人には、灯台の現状を知る人間として話してほしいと願った。真尋は若い漁師たちを集め、感情的な声に呑まれないよう場を支えた。 その夜、公民館に集まった人々の前で、澪は初めて自分の言葉で話した。残したいのは昔の形そのものではなく、ここで同じ海を見てきた時間です。でも、新しい仕事も帰ってこられる場所も必要です。どちらかを黙らせたら、町は先に進めない。声が少し震えたが、不思議と静けさが広がった。続いて草介老人が旧道の崩れは補修可能だと告げ、志乃が写真を掲げ、真尋が若い世代の本音を率直に話した。 そのとき澪は、見えない喪失の正体をはっきり理解した。失われるのは建物ではない。誰かの事情を知る前に、もうわかり合えないと決めてしまうこと。その断念こそが、町から最初に消えていく大切なものだった。だからこそ今夜、自分はそれが失われる一歩手前で、言葉をつなぎとめに来たのだと。 窓の外では、岬の先に灯台の明かりがにじんでいた。遠回りしても、まだ届く。澪はそう信じながら、次に渡すべき言葉を胸の中で確かめていた。

6章 / 全10

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