エラベノベル堂

潮岬の灯へ、十年越しの便り

全年齢

小説ID: cmneirtr5000g01n3tngv0i6s

5章 / 全10

翌朝から、澪は本当に配達人のように町を歩いた。けれど鞄に入っているのは封書ではなく、人から預かった言葉だった。漁協の若い衆には、商店街の年配者が灯台そのものよりも、岬へ続く道と、そこで交わされてきた時間を惜しんでいることを伝えた。商店街の店主たちには、再開発を望む側が金の話だけをしているわけではなく、働き口を増やし、町に戻る理由を作りたいのだと伝えた。誰かの言葉は、そのままでは角が立つのに、別の場所へ運ばれると少しだけ温度を変えた。 真尋もまた、澪に背中を押されるように動いた。港の若手を集め、役場の担当者と顔を合わせる小さな話し合いを段取りした。志乃は古い写真を持ち出し、岬がただの観光資源ではなく、町の節目を映し続けてきた場所だと示した。草介老人は灯台の記録台帳を開き、灯りの保守だけでなく、荒天の夜に住民がここへ集まり、海を見守った記録まで読み上げた。紙の上に残るのは年月だけではないのだと、その場にいた誰もが少しずつ理解し始めた。 それでも、話は簡単にはまとまらなかった。岬の旧道を残せば工事費がかさむ。灯台を保存しても維持費が要る。現実は波のように何度も足もとをさらい、澪は何度も、自分たちのしていることは遅すぎるのではないかと思った。 迷いが強くなった夕方、澪はひとりで灯台の見晴らし台に上った。町には薄い西日が落ち、港のクレーンも、商店街の屋根も、学校の窓も、同じ色に染まっていた。ああ、と澪は思った。守りたいのは灯台だけではない。この景色の中で、立場の違う人がそれでも同じ夕方を見ているということだ。 その夜、澪は局の古い便箋を借り、一通ずつ短い手紙を書いた。再開発の中心にいる役場の担当者へは、灯台の保存を求める声の裏にある生活の記憶を。反対の先頭に立つ商店街の主人へは、新しい港に期待をかける若者の焦りを。差出人の名は書かなかった。ただ、岬で交わされた言葉だけを、余計な飾りなく綴った。 数日後、再び開かれた話し合いの場で、空気は前回と違っていた。誰かを言い負かすためではなく、条件を持ち寄る声が増えていた。灯台は町の資料展示と展望の場として保存する。岬への旧道は遊歩道として整える。港の新設区域とは歩行導線を分け、観光客を商店街へ流す仕組みも組み込む。最初は無理だと言っていた役場の担当者が、補助金の枠組みを調べると言い出したとき、真尋が目を丸くして澪を見た。 会の帰り、草介老人がぽつりと言った。おまえはちゃんと届けたな。澪はうなずきかけ、それから胸の内で、未来の手紙の最後の一文を静かに繰り返した。誰に手紙を届けるかで変わる。 岬へ吹く夜風は、もう少しだけやわらかかった。灯台の白い壁は闇の中でもかすかに浮かび、町のほうを向いて立っていた。失われるはずだったものは、まだ名前にならないまま、確かにそこにとどまっているように思えた。

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