エラベノベル堂

記憶市場の果て、初恋は真実を灯す

全年齢

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10章 / 全10

都市全体に真実が流れた翌朝、街は雨上がりのように静かだった。広場では立ち尽くす人々が、互いの顔を見つめ直している。忘れていたはずの怒りや、会えなかった誰かへの痛みが、遅れて胸に戻ってきたのだ。ユウトはその光景を、病院の屋上から眺めていた。 記憶市場は閉鎖され、研究機関の白い壁には黒い封鎖線が貼られた。だが壊れたのは制度だけではない。失われた記憶を抱えたまま、それでも生き直そうとする人々の沈黙が、街のあちこちで新しい始まりをつくっていた。ユウトの手元には、ほとんど色を失った端末がひとつあるだけだ。もう売るための記憶は残っていない。残っていたとしても、彼はきっと売らない。 母はベッドの上で、以前より少しだけ深く息をしていた。治療は続かない。けれど彼女は不思議と穏やかだった。あなたが選んだなら、それでいいのよ。そう言って、細い指でユウトの手を握る。ユウトは何かを返そうとして、結局うまく言葉にできなかった。代わりに、ただ頷いた。 リナは窓際に立ち、外の空を見ていた。彼女もまた、取り戻した記録の重みを静かに受け止めているらしかった。二人の間には、初恋と呼ぶには長く、真実と呼ぶには傷の深い時間がある。それでも今は、その細部をすべて思い出せなくても構わない気がした。大切だったと知っているだけで、十分だった。 やがてユウトは、病室の棚に小さな封筒を見つけた。差出人はない。中には、古い紙片が一枚入っていた。そこに書かれていたのは、見慣れない自分の字だった。忘れたくないものは、記憶ではなく約束だ。読み終えた瞬間、胸の奥で何かが静かにほどけた。 その紙片の裏には、母の筆跡が重なっていた。生きなさい。たとえ全部を覚えていなくても。ユウトは目を閉じた。失った空白は戻らない。けれど空白があるからこそ、これから入ってくる景色を受け止められるのかもしれない。窓の外では、まだ少しぎこちない朝が都市を照らしていた。 彼は病室を出た。リナが隣に並ぶ。母は静かに見送っている。ユウトは振り返らない。記憶のすべてを抱えたまま進むことはできない。それでも、誰かを大切だと思った確かな熱だけは、今も胸に残っている。その熱がある限り、彼は何度でも未来を選び直せる。都市は不完全なまま、ゆっくりと新しい呼吸を始めていた。

検閲済みプロット

記憶を売買できる都市国家を舞台に、母の治療費のため大切な記憶を手放し続けてきた青年が、失われた『初恋の記憶』を取り戻したことをきっかけに、国家による記憶操作計画の存在に気づく。愛する人との絆と自分の本当の過去を守るため、青年が真実を追う一般向けの近未来ドラマ。

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