ユウトは旧研究棟の地下で、母の治療記録に挟まれた一枚の薄いタグを見つけた。番号は、記憶市場の管理台帳と一致していた。胸が嫌な音を立てる。母はただ病気を抱えていたのではない。支援制度の利用者として、回収対象の一覧に最初から載せられていたのだ。彼が売ってきた思い出は、治療費に変わるだけでなく、都市の維持へ吸い上げられていた。 背後で扉が開く。そこに立っていたのは、記憶の中で幾度も見たはずのリナだった。けれど彼女は、あの柔らかな笑顔を浮かべていない。研究者の娘として隠されていた彼女は、静かな声で真実を告げた。初恋の記憶は偶然ではない。検閲をすり抜けるための器だった。人が最も大切にする記憶ほど、深く保存され、改ざんの痕跡を残しやすい。だから彼女は、ユウトの胸に残り続ける感情を目印に選んだのだ。 ユウトは言葉を失った。では、あの午後も、川沿いの帰り道も、すべて仕組まれていたのか。リナは首を振る。仕組まれたのは入口だけだ。そこで本当に芽生えた気持ちまで、誰にも消せなかった。彼女の視線は、壁一面に並ぶ保存槽へ向く。そこには、改ざん前の記録が眠っていた。都市が都合よく忘れさせてきた怒り、後悔、別れ、そして名もない愛情が、ひとつの流れになって揺れている。 その時、母から通信が入った。画面に映った彼女は、思ったよりも穏やかな顔をしていた。やりなさい、と彼女は言う。あなたが自分のために泣けるなら、まだ戻れる。ユウトは息を呑んだ。母は知っていたのだ。治療の延長と引き換えに、記憶を差し出す仕組みも、自分がその歯車を回してきたことも。だが責める代わりに、最後まで選ばせようとしている。 ユウトは震える手で、中枢へ接続した。公開鍵が受理されると、保存槽の光が一斉に走り出す。街の広場、病院の壁、住宅区の端末に、改ざん前の記録が雪崩れ込んだ。人々は立ち止まり、見知らぬはずの涙に触れ、忘れていた誰かの名前を口にする。制御室は警報で満ちたが、もう遅かった。 白い光の中で、ユウトはリナの手を掴んだ。細部は崩れていく。それでも、誰かを好きだと知った熱だけは残る。母の声も遠ざかる。けれど彼は、最後に一つだけ理解した。守るべきものは、記憶そのものではなく、失われてもなお選び続ける意思なのだと。都市は目を覚まし、ユウトは空白だらけの胸で、それでも前へ進んだ。
記憶市場の果て、初恋は真実を灯す
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