最後のレジ打ちを終えた指先は、もう不思議なくらい落ち着いていた。櫂は機械の表示を消し、鍵を握りしめる。これを返せば、この夜とも本当に別れるのだと思うと、胸の奥が少しだけ鳴った。 「……終わったな」 誰に向けたともつかない呟きが、静かな売り場に落ちる。入口へ向かうと、扉の向こうに人の気配があった。櫂は一瞬だけ足を止める。けれど、扉を開けた先にいたのは、これまで助けた客のひとりだった。 「あんた、まだいたのか」 櫂が言うと、その客は少しだけ笑った。深夜の疲れが残る顔なのに、前に来たときよりずっと目が澄んでいる。 「待ってました。返すものがあるって、なんとなく分かったんです」 「返すもの?」 「未練の、受け取り先です」 櫂は瞬きをした。客はレジのほうを見て、それから真っ直ぐに櫂を見る。 「ここで見たのは、ただの文字じゃなかった。誰かが言えなかったこと、渡せなかったことを、ちゃんと次へ渡せる場所だった。だから、今度は自分が店番をやります」 「……おい、急だぞ」 「急じゃないです。あの夜から、ずっと考えてた」 鍵を差し出しかけた櫂の手が止まる。背後の売り場は青白く静かで、いつも通りなのに、もう自分の居場所ではない気がした。 「俺は、ここを出る」 「はい」 「本当にいいのか」 「いいです。たぶん、俺も誰かのために立てる」 その言葉に、櫂はようやく鍵を返した。金属が手から離れた瞬間、肩から何かが落ちる。重かったはずなのに、気づけばずっと持っていたものだった。 扉を閉め、櫂は歩き出す。見上げた空はまだ薄暗いが、街の端がゆっくり色を変え始めていた。夜明けの匂いがする。 振り返るつもりはなかった。なのに、背中越しに店の看板がぼんやりと見えた気がした。そこには、次の夜を待つみたいに小さな灯りが、消えずに残っている。 櫂は息を吐き、足を前へ出した。 「……じゃあな」 声は風にほどけていく。けれど、あの店はもう閉じた場所ではない。誰かの未練を受け止め、また次へ渡していく。そんな夜が、これからも続くのだろう。 櫂は明るみ始めた街の方へ歩き、遠ざかる看板の光を、もう一度だけ心の中で見送った。
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深夜だけ開く無人コンビニ。レジを通すと「未練」が値札になる不思議な店で、店番の青年が客の人生を少しだけ変える、一般向けのヒューマンドラマ。
