高座の上に立つたび、俺は客席の向こうにあるはずの景色を見失っていった。ついこの前まで、師匠は俺を将来有望だと褒め、誰より早く前座仕事を覚えるよう背中を押してくれた。だが、舞台袖で起きた思いがけない事故のあと、喉はいつまでも元通りにならなかった。声を出そうとするたび、胸の奥で空気がから回りするだけで、言葉は外へ出てこない。落語家にとって声を失うことは、刀を持たぬ侍のようなものだと、何度も思い知らされた。 稽古場へ顔を出しても、先輩たちの目はやさしさと困惑を半分ずつ含んでいた。口演ができぬなら、裏方に回るしかない。そう言われるたび、俺はうなずくしかなかった。だが、諦めきれない気持ちは、胸の底で小さな火種のまま消えずに残った。ある夜、誰もいない寄席の明かりを見上げていると、受付に立っていたひとりの女性が近づいてきた。彼女は手話通訳者で、舞台芸術の手助けをしたいとこの業界に出入りしているのだという。 彼女は俺の沈黙を気の毒そうには見なかった。むしろ、目の前にある落語の所作を見て、もっと伝えられるはずだと真っ直ぐに言った。言葉は音だけではない。顔の動き、間合い、視線の置き方、扇子のひと振りで、客は想像できる。彼女の指先が空中に流れるたび、俺の中で止まっていた何かがゆっくりほどけていった。声を失ったから終わりなのではない。別の道で届くものがある。そんな考えは、今まで一度も持てなかった。 その日から、俺は彼女に頼んで、手話と舞台表現の基礎を教わるようになった。鏡の前で表情をつくり、間を測り、扇子を箸に見立てて動かす。ぎこちない動きに彼女は何度も首を振ったが、そのたびに新しい工夫を示してくれた。客席に背を向ける一瞬、照明を落とす代わりに視線を集める手の動き。声ではなく、目で聴かせる落語。そんな無茶な夢を、初めて本気で追ってみたいと思った。
見えない声、灯る高座
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