エラベノベル堂

香の包み、季はひらく

全年齢

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1章 / 全10

「ばあちゃんの味、今日は少し違う気がするの」 京子はそう言って、湯気の立つ茶を手にしたまま、作業場の隅に視線を落とした。老舗和菓子店松風堂の午後は、いつもなら餡を練る甘い匂いと、乾いた木のまな板の音で満ちている。けれどその日は、和真の胸にひっかかるものがあった。祖母は菓子を口にしても、以前のように細かい感想をこぼさない。ただやわらかく笑って、首をかしげるだけだ。 「味が、わかりにくいのか」 和真が尋ねると、京子は困ったように目を細めた。 「完全にわからないわけじゃないのよ。けれど、舌に残るものが少なくなってね」 その一言が、作業場の空気を静かに変えた。和真は手元の包丁を置き、まだ切り分けていない生菓子を見つめる。甘さだけでは届かないなら、ほかに何がある。祖母は昔から、季節の移ろいを菓子で当てる人だった。春の桜、夏の青葉、秋の栗、冬の炉のぬくもり。けれど今、その入口が閉じかけているのだとしたら。 「なら、味そのものじゃなくてもいい」 和真はぽつりと呟いた。 「香りなら先に届く。食感なら手にも残る。だったら、季節はまだ伝えられる」 京子が顔を上げる。 「和真?」 「俺、作るよ。舌だけに頼らない菓子を。手で感じて、匂いでわかる菓子を」 返事の代わりに、京子は小さく笑った。その笑みは、安心とも寂しさともつかない。和真はそれを見て、胸の奥で何かが決まるのを感じた。看板の味を守ることと、誰かのために新しい形を探すことは、きっと別のことではない。季節は、口に入れた瞬間だけのものじゃない。包みを開く指先、ふわりと立つ香り、歯の下でほどけるわずかな弾み、その全部で人の記憶に触れるのだ。 和真は材料棚へ歩き、桜葉の塩気を確かめるように瓶を持ち上げた。薄桃色の紙に指を滑らせ、次に寒天の艶を見つめる。手のひらに乗る小さな塊ひとつで、春の風を呼べるかもしれない。 「京子さん。次の菓子、ちょっとだけ付き合って」 祖母は、今度ははっきりとうなずいた。 「ええ。季節を手で感じるなら、私にもまだできることがありそうね」 作業場の窓の向こうでは、やわらかな陽が木の床に伸びていた。和真はその光を見ながら、静かに試作の手順を思い描き始めた。

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