翌日から、悠真は仕込みの合間ごとに小さな試作を重ねた。最初に向かったのは香りだった。桜の葉を塩抜きして刻み、白餡にごく薄く移す。梅でも橘でもない、春先の空気みたいな青い匂いを残したかった。だが、香りを立てようとすれば餡の品が濁り、抑えればただの淡白さになる。蒸したてを口に入れるたび、春はもっと遠く、もっと曖昧だと知らされるばかりだった。 夏には音を食感に変えられないかと考えた。寒天を薄く固めて砕き、葛を重ねて、歯に触れた瞬間にほろりと崩れる層を作る。硝子鉢に当たる氷の音、簾越しの風鈴、打ち水のあとの石畳。そんな涼しさを思わせる軽さを目指したが、父は試作品を指先で割るなり眉を寄せた。 「和菓子は遊び道具じゃない」 低い声が、夜の工房にまっすぐ落ちた。 「見立ては要る。でも、先にあるのは菓子としての旨さだ。連想ばかり追えば、芯がなくなる」 正しいと思った。だからこそ苦しかった。悠真だって味を捨てたいわけではない。ただ、祖母のもとへ届かない味だけを磨いても、何かが足りない気がしていた。 秋は焙った胡桃と炒り米を合わせ、木の実を踏んだ山道のような香ばしさを探った。冬は羽二重のやわらかさを少しだけ重くして、雪の積もる音もない夜の静けさを舌ではなく頬で感じる口あたりを試した。けれど試作の皿が増えるほど、志乃の顔を思い浮かべては手が急き、余計な工夫を重ねてしまう。包みを開ける前から驚かせたい、ひと口で季節をわからせたい。そんな焦りが、どの菓子にもどこか説明くささを残した。 ある晩、病室に持っていった試作を前に、志乃は香りを確かめるように目を閉じた。けれど、ゆっくり首を傾げる。 「きれいだねえ。でも悠真、少し急いでる味がするよ」 味がわからないはずの人にそう言われ、悠真は返す言葉を失った。帰り道、商店街は春の雨上がりで、軒先からしずくが落ちていた。濡れた土の匂い、遠くの自転車のベル、店じまいを告げる引き戸の音。胸のうちに溜まっていたものが、じわじわと重くなる。 店へ戻ると、父がひとりで木型を拭いていた。黙ったまま隣に立つと、父は手を止めずに言った。 「おまえがばあさんを思う気持ちはわかる」 それだけで、かえって胸が痛んだ。 「でも、思いが強すぎると、菓子に手前勝手が混じる。食べる人を置いていくな」 悠真は作業台の上の失敗作を見た。春も夏も秋も冬も、そこには自分の焦りばかりが積み上がっている気がした。祖母に届けたいはずなのに、祖母がどう受け取るかより、自分が報いたい思いに囚われていたのかもしれない。 深夜、誰もいなくなった工房で、悠真はひとつずつ試作を切り分けた。指先に伝わる固さ、割れ方、鼻先をかすめる香りの立ち方を確かめる。味ではなく、触れた瞬間の気配を拾い直すように。窓の外では、風に揺れた若い葉がかすかに擦れ合っていた。その音を聞きながら、まだ形にならない何かが、胸の奥で静かに輪郭を持ち始めていた。
香の包み、季はひらく
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