エラベノベル堂

深き回線、潮の黙示

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1章 / 全10

「主任、これ、ただの回収物じゃないです」 夜明け前の甲板は、海風が肌に薄い膜を張りつけるみたいに冷たかった。保守船の作業灯の下で、大貴は濡れた手袋を外し、金属ケースを受け取った。海底から引き上げた記録モジュールは、外装こそ無傷に見えるのに、妙に重い。潮の匂いの奥で、機械油の乾いた香りがかすかに混じった。 「いつもの点検で、こんなの上がるはずないだろ」 「ですよね。でも中の波形、見てください」 美空が端末を開く。青白い画面に流れた解析結果を見て、大貴は眉をひそめた。海流ノイズに埋もれているはずの記録なのに、信号は驚くほど鮮明だった。しかも記録形式が妙だ。どの国の標準にも似ていて、どれにも完全には当てはまらない。まるで複数の規格を、わざと少しずつ継ぎ合わせたみたいだった。 「送信者も受信者も、空欄ですね」 「空欄どころか、消した痕跡までない。最初から見せる気がなかったんだ」 大貴はケースを閉じかけて、もう一度止めた。ログの末尾に、見覚えのない識別符号が刻まれている。短い記号なのに、見た瞬間、背中を冷たいものが走った。数字と英字が絡んだだけの単純な列なのに、そこだけ場違いに鮮明で、他の情報を押しのけていた。 「これ、会社の保管手順に回しましょう」 美空は声を落とした。いつもの軽口は消えていた。 「騒がない方がいいです。まずは通常報告として処理して、誰にも悟られないように」 「同感だ。下手に触ると、こっちが触ったって分かる」 二人は甲板の隅で短くうなずき合い、記録モジュールを耐圧ケースへ戻した。遠くで波が船腹を叩き、低い振動が床越しに伝わってくる。大貴はその揺れに合わせるように、端末の画面を見直した。通信の時刻が、いくつかの世界各地の障害記録と妙に噛み合っている。偶然にしては、あまりにも揃いすぎていた。 「なあ、美空」 「はい」 「これ、ただの異常記録じゃないかもしれない」 「私も、そう思ってます」 美空はケースのロックをかけ、いつもの無機質な音を響かせた。その小さな音が、なぜか始まりの合図みたいに聞こえた。大貴は海の向こうに残る暗い水平線を見たまま、口の中で短く息を吐く。今はまだ、誰にも知られずにしまっておくしかない。だが、たった一つの記録モジュールが、もう既に普通ではいられない夜を連れてきていた。

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