エラベノベル堂

ひかり荘、応答の余白

全年齢

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1章 / 全10

麻衣が管理室のドアを開けたとき、部屋の空気は古い紙と洗剤が混ざった、少しだけ乾いた匂いがした。机の上には入居者名簿と点検表がきちんと重ねられていて、前任者の几帳面さだけがまだ温度を残しているようだった。 「新しい管理人さん、麻衣さんですね」 受付の端末越しに声をかけてきたのは、事務局の担当者だった。画面に映る顔はすぐに切れて、そこから先は書類だけが現実みたいに残った。 「はい。よろしくお願いします」 麻衣が受け取った封筒はずしりと重く、中には名簿のほか、点検表、鍵束、そして入居案内の薄い冊子が入っていた。名前の横に並ぶ部屋番号を追っていくと、人間の姓と機械の識別番号が同じ紙面に肩を並べている。それなのに、ここで暮らす人たちが互いにどんな距離でいるのかは、数字だけではまるで見えなかった。 廊下へ出ると、その答えはすぐに足元から滲み出た。向こうから来た住民は、相手が近づくたびにわずかに視線を外し、挨拶だけを置いて通り過ぎる。ロボットの住民は丁寧に頭を下げるのに、人間の住民はそれを受け止めきれず、まぶしさを避けるみたいに目を伏せる。会話がない、というより、会話の入口だけが何度も閉じられている感じだった。 「静か、というより……固い」 麻衣は小さくつぶやき、ポケットのメモ帳に最初の印象を書きつけた。だが、その直後に廊下の壁際で見つけた小さな浮き、巾木の隙間、少し傾いた掲示板が気になって、点検表を開く。修繕が必要な箇所は、見ればすぐわかるものばかりだ。ところが、掲示板の前に立った瞬間、風もないのに端の紙片がかすかに揺れた。 麻衣が視線を上げると、白い紙片が一枚、また一枚と、誰にも触れられていないのに整列していく。ばらばらだったものが、必要な順番を知っているみたいに、するすると一列に揃った。指先ひとつ触れていない。機械の誤作動とも言い切れない。けれど、ただの偶然にしては、あまりに静かで、あまりに正確だった。 「……これは」 麻衣は点検表を握り直した。修理箇所ではない。故障という言葉だけでは、今見たものは収まりきらない。 彼女は台帳を開き、空欄の最初の頁に、ゆっくりと書いた。 廊下の掲示板で、誰も触れていない紙片が順に整列した。機械の不具合では説明できない。最初の記録として残す。

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