「待って、全部って……材料から?」 彩花が不安そうに声を落とす。香織はうなずきながら、鍋の火を止めた。湯気の立ち方までさっきと違って見えるのが、かえって落ち着かない。 「原因がひとつとは限らないけど、怪しいのは残したくない。記録を見直そう」 「じゃあ、私がメモ持ってくる」 凛桜がすぐに棚へ向かう。その背中を見送りながら、香織は調理台の上に置かれた記録用のノートを開いた。前夜の試作前に、誰が何を持ち込んだか、誰がどの道具を使ったか。自分たちで付けたはずの書き込みが、今は妙に頼りなく見える。 彩花が横から覗き込み、小さく息をのんだ。 「え、ここ。買い出しの数、合ってなくない?」 香織は指先で該当箇所をなぞる。確かに、そこだけ筆跡がわずかに揺れていた。線の太さも、前後と微妙に違う。 「……書き換えられてる」 「えっ」 「メモだけが、不自然に変わってる。ほかはそのままなのに」 凛桜が戻ってきて、ノートを見下ろした。珍しく目つきが鋭い。 「これ、昨日の私たちの記録だよね。なのに、買い出しだけ別人みたい」 香織は黙ってうなずく。誰かが鍋に触れたのか、それとも記録をいじったのか。どちらにしても、ただの勘違いで済ませるには違和感が多すぎた。 そのとき彩花が、調理台の端を見て声を上げた。 「ねえ、これ……」 そこには、薄い手袋の切れ端が引っかかっていた。白とも灰色ともつかない、誰のものとも言い切れない曖昧な色。指先に触れるか触れないかの位置で、ひらりと頼りなく残されている。 香織はそれをつまみ上げ、静かに見つめた。 「一度使っただけじゃ、こんなふうにはならないよね」 「誰かが急いで外した、ってこと?」 彩花の声がわずかに震える。 「断定はできない。でも、少なくとも偶然じゃない」 凛桜がノートを閉じた。 「いたずら、で片づけるには手が込みすぎてる」 その一言で、部屋の空気がさらに冷えた。鍋の中身はまだ手つかずで、作り直せば元に戻るかもしれない。けれど、今は味の話だけでは終われない気がした。 香織は手袋の切れ端を小さく畳み、ノートの横に置く。 「部活の中で、静かに聞いてみよう。誰が何を見たのか、何を触ったのか」 「怒らせるかな」 「怒らせないように、でも曖昧にもしない。変なことは、変だって認めるしかないから」 彩花は唇を噛んだまま、やがて小さくうなずいた。 凛桜も、何かを飲み込むように視線を落とす。 誰も声を荒げてはいないのに、試作の朝はもう昨日の続きではなかった。湯気の消えた鍋の上で、文化祭の豚汁は静かに問いを残している。
豚汁謎解き帖
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