エラベノベル堂

改札鋏に鳴る約束

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1章 / 全10

六月の終わり、北海道の山あいにある小さな町は、ようやく観光客の声で目を覚ましはじめる。かつて列車が走っていた線路は大半が外され、いまはその跡をなぞるように、季節限定のトロッコ列車がゆっくりと風を運んでいた。若葉の匂い、まだ冷たい川の光、遠くに残る雪の白さ。悠真はその景色が好きだった。正式な車掌ではなく、まだ見習いの札を胸につけていても、発車前にホームへ立つだけで背筋が伸びる。 その朝、悠真は運行事務所の裏にある古い倉庫の整理を任されていた。錆びたランタン、使われなくなった時刻表、欠けた駅名標の板切れ。どれもこの町の時間が乾いたまま積もっているような品ばかりだった。埃を払いつつ木箱を動かしたとき、底のほうで銀色の鈍い光が見えた。拾い上げると、手のひらに収まる古びた改札鋏だった。握りの黒い塗装はところどころ剥げ、刃先には小さな欠けがある。試しに軽く開閉すると、ちきん、と澄んだ音がした。 その音が妙に耳に残った。倉庫の外へ出ると、また、ちきん、と鳴る。今度は悠真が動かしていないのに、掌の中で小さく震えた気がした。不思議に思って足を止めると、倉庫脇のベンチの下に、花柄の薄い手袋が片方だけ落ちていた。観光客の忘れものだろう。拾って事務所へ届けると、昼前の便に乗った年配の女性が青い顔で探しに来た。悠真が手袋を差し出すと、女性は胸を撫で下ろし、亡くなった姉とおそろいで買ったものなのだと笑った。 偶然だと思った。だが、その日の午後、改札鋏は待合所でも同じ音を立てた。植木鉢の陰から子ども用の帽子が見つかり、夕方には売店の横で古いフィルムカメラのケースまで見つかった。悠真がどこかへ向かうたび、近くに忘れものがあるとでもいうように、改札鋏は小鳥のくちばしのような音を鳴らす。気味が悪いより先に、役に立つ、という気持ちが勝った。 数日もすると、悠真は半ば遊びのようにその鋏を持ち歩くようになっていた。乗客から忘れものの相談を受けるたび、胸ポケットの中で音が鳴るかを確かめる。するとかなりの確率で見つかるのだから、同僚たちも面白がった。古物好きの運転係は、昔の道具には人の癖が染みつくからな、と冗談めかして言ったが、悠真は笑いきれなかった。あの音には、ただの偶然では済まない妙な意思のようなものがあった。 転機は、終点近くの休憩所で団子を売る古老、沼田老人のひと言だった。悠真が改札鋏の話をすると、老人の皺の奥の目がふいに細くなった。 その鋏、どこで見つけた 倉庫です、と答えると、老人はしばらく黙り込み、線路跡の向こうの林を見た。昔、この路線に関わっていた人でな、ある日突然いなくなった者がいたんだよ。事件か夜逃げか、ずいぶん噂されたが、とうとう本当のことはわからんままだった 風が止み、遠くでカラスが鳴いた。悠真は胸ポケットの上から改札鋏に触れた。冷たいはずの金属が、じんわりと熱を持っている気がした。 失くした物のそばで鳴る道具。姿を消した路線の関係者。廃線跡を走る列車の下には、まだ誰にも拾われていない記憶が眠っているのかもしれない。悠真は休憩所の古いベンチに腰を下ろし、陽に透ける線路跡を見つめた。トロッコ列車の仕事は好きだ。ただ景色を案内するだけではなく、この町に置き去りにされた何かを見つける役目が、自分に回ってきたのではないか。そんな考えが、夏の入口の風よりもはっきりと胸に残った。

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