夜明けの冷えた風が、神殿前の広場を薄く撫でていた。昨夜までの騒がしさは嘘のようで、立ち並んでいた機材は端へ寄せられ、砂嵐に洗われた石畳だけが静かに光っている。葵はひびの残る壁面の前に立ち、最後の修復材を指先で押し込んだ。 「……これで、ひとまず閉じる」 独り言にしては、少しだけ声が震えた。修復は、壊れたものを隠すためじゃない。残すべき意味を、次へ渡すための仕事だ。葵は慎重に筆を走らせ、壁画の輪郭を戻していく。炭の黒と薄い土色が重なり、隠されていた線がようやくひとつの形を結んだ。 理仁が少し離れた場所で腕を組み、壁を見上げる。 「本当に、あれが本来の意味だったんだな」 「うん」 葵は筆を止めずに答えた。 「災害の予兆じゃない。未来の破滅を止めるための停止命令。掘り進めるな、触れるな、ここで止まれっていう、強い命令だったんだと思う」 「そんな大事なものを、あんな見え方にして隠してたのか」 「隠さないと守れなかったんだろうね」 壁の向こうで、国際調査隊の人員が最後の荷をまとめている気配がした。撤退の手順はすでに回り、ここは保護区域として封鎖される。真斗の姿はない。残った足音も、遠くへ薄れていくばかりだった。 葵は最後の一筋を整え、手袋の汚れを見下ろす。 「これで終わり、のはずだったんだけど」 理仁が眉をひそめる。 「まだ何かあるのか」 葵は返事をせず、神殿の壁に耳を寄せた。すると、乾いた石の奥で、かすかな音がした。ひびがもう一つ生まれるような、細い嫌な響き。 彼女の瞳がわずかに揺れる。 「……今の、聞こえた?」 「何も聞こえない」 理仁は首を傾げたが、葵は壁から目を離さなかった。静かに封じたはずの場所で、見えない続きを告げる音がまだ息をしている。 彼女は修復した壁画を見上げ、朝の光の中で、これが終幕ではないことを知った。
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砂漠の発掘都市で、壁画修復師の女性が翌日に起きる災害をひび割れで示す神殿画を読み解き、国際調査隊の裏切りと対峙する考古学サスペンス。
