エラベノベル堂

嵐夜を継ぐ無線士

全年齢

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1章 / 全10

「ここ、で合ってるよな……」 翔は運航所の明かりに照らされた作業台の前で、並べた工具をもう一度見直した。レンチ、ドライバー、トルク計。どれも見慣れた道具のはずなのに、今夜はやけに重く感じる。島に来て初めての勤務。しかも相手は、空を飛ぶ機体だ。整備士としての手は動くはずなのに、胸の奥だけが落ち着かない。 「そんなに身構えるなって。工具は逃げない」 声のした方へ顔を上げると、無線卓の前にいた男が、片手をひらひら振っていた。蓮だと名乗ったその男は、漁で日焼けした顔に、妙に気さくな笑みを浮かべている。 「新人の翔、だったか。まず覚えるのは、機体より島の癖だ」 「島の癖、ですか」 「電波は素直じゃない。風、潮、山の影。少しずつ機嫌が変わる。だから、無線の向こうの声を聞く時は、言葉だけじゃ足りない」 蓮は受話器を指で軽く叩いた。 「救難要請も同じだ。はっきり来る時ばかりじゃない。島の人は遠慮深いからな。助けてくれって声が、途中で小さくなることもある」 翔は工具を握り直した。点検表の文字が、急に生き物みたいに見える。 「それでも、飛ぶ前に俺たちが支えるんですね」 「そういうこと。空の仕事は派手に見えるけど、まず地上が静かじゃないと始まらない」 その時、無線が短く鳴った。蓮が受話器を取り、片耳を傾ける。頷き方が、さっきまでより少しだけ硬い。 「……嵐が寄ってきてる。上の島影は明日から荒れるかもな」 「もう、そんな時間なんですか」 「ここじゃ珍しくない。年寄りが増えてるぶん、搬送の話も増える。静かな島に見えても、必要な時は一気に動く」 翔は窓の外を見た。暗い海の向こうで、雲が低く厚くなっていくのがわかる。島の夜は穏やかに見えて、ずっと何かを抱えているのかもしれない。 蓮は受話器を戻すと、翔の隣に立った。 「外から来たやつに、最初に伝えることは一つだ」 「なんです」 「この島では、届くはずの声が届かないことがある。だからこそ、こっちが先に気づく」 翔は小さく息を吐いた。緊張は消えない。けれど、さっきまでのそれとは違う。地面の下に、見えない張りつめた糸が何本もある。その上で自分は働くのだと、ようやく実感できた。 再び無線が鳴る。今度は短い警戒の連絡だった。蓮の表情が、夜の色に沈む。 「ほら、来たぞ。島は、今日も黙ってはいない」 翔は工具を一つずつ所定の位置に置きながら、初めてこの仕事の重さを、空ではなく足元から受け止めた。

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