エラベノベル堂

嵐夜を継ぐ無線士

全年齢

小説ID: cmnepuctw000901nwrkmpvu1z

10章 / 全10

「……上がってる」 蓮が受信機を耳から離した瞬間、翔は顔を上げた。夜明け前の空はまだ群青のままだったが、灯台前の高台には東の端だけがうっすらと白み始めている。濡れた石畳の上で、翔は復旧した無線機の最終確認を終え、震える指先を強く握りしめた。 「島外に、通せますか」 「ああ。今なら届く。……いや、届かせる」 蓮は短く言って、送信機のスイッチに手を伸ばした。返ってくる雑音はまだ荒い。それでも、さっきまでの噛み切れそうな途切れ方とは違う。電波は息をつなぎ、遠くの空へ向かって伸びていった。 「救助要請、送る」 「お願いします」 翔が言うと、蓮はわずかに笑った。 「今さら敬語かよ」 「いや、なんか……ちゃんとしたくて」 そのやり取りの直後、受信機から応答が返る。途切れながらも、確かに救助の手順が読み上げられていく。翔は息を呑んだ。島の外へ向かう声が、こんなにも頼もしく聞こえるなんて知らなかった。 背後では、無事保護された高齢の島民が、支えられながらゆっくりと顔を上げていた。濡れた頬には疲れが残っていたが、もう一人で沈み込んでいる目ではない。 「迷惑をかけた」 小さな声に、蓮が静かに首を振る。 「迷惑じゃない。遅れただけだ」 翔も言葉を探して、やがてうなずいた。 「一人で抱えるには、重すぎましたよ。島のことも、自分のことも」 高台の向こうで、空の色が変わった。雲の切れ間から差す薄い光が、灯台の白い壁をかすかに染める。嵐の濡れた闇が少しずつほどけ、海面の色まで変わっていく。 「ヘリの準備、もうすぐだ」 蓮が言う。翔は機体の方へ視線を向け、整備したばかりの機体の輪郭を確かめた。飛ばすための準備は、もう整っている。 「……俺、ここで続けます」 自分の口から出た言葉に、翔は少し驚いた。 「この島で、整備士として。機械だけじゃなくて、声が届くように」 蓮はその横顔を見て、目を細めた。 「珍しく、いい顔してるじゃないか」 「からかわないでください」 「からかってるんじゃない。頼もしいって言ってる」 翔は照れくささをごまかすように、空を見上げた。そこにはもう、昨夜までの重さだけではない。誰かが助けを呼べる場所に変わっていく予感があった。 「蓮さんも、これからは」 「見守り役、だろ」 蓮はあっさり言った。 「無線士としてな。島の電波を聞く。で、変な沈黙があったら最初に気づく」 翔は頷いた。救難信号の事件は、ただ一人を救って終わるものじゃなかった。黙っていた島の時間に、ようやく別の答えを返したのだ。 朝焼けは、思ったより速く広がっていく。高台に立つ二人の足元で、風がやわらぎ、遠くの海が静かに息を吹き返した。

検閲済みプロット

高齢化した離島で、ドクターヘリの新人整備士と元漁師の無線士が、嵐の夜に途絶えた救難信号の発信源を追うレスキュー群像劇。

10章 / 全10

TOPへ