エラベノベル堂

深夜書店 返品本相談室

全年齢

小説ID: cmnepuper000f01nwv9opbg39

1章 / 全10

閉店音が遠くで鳴り終わるころ、星河書林の一階カウンターは、昼間の喧騒が嘘みたいに静かだった。照明だけが白く浮き、売場の向こうでは棚が長い影を落としている。朝陽は腕まくりをしながら、目の前に積まれた返本の箱を見下ろした。 「これ、今日から朝陽くんの担当ね」 先輩の未菜は、事もなげにそう言って伝票の束を寄こした。 「担当、ですか」 「そう。閉店後だけ開く返品本の相談室。客がいない時間に、戻ってきた本を仕分けして、記録を整えるの。難しくはないけど、慣れるまでは少し変に感じるかも」 朝陽は箱の口を開けた。紙の匂いがふわりと立つ。新品とは違う、誰かの手をいくつも経て疲れたような匂いだった。背表紙の擦れを確認し、返品票と照らし合わせる。最初の一冊、次の一冊、その次も、作業は順調に思えた。 だが三つ目の箱で、指先が止まった。 「……ん?」 表紙をめくると、見返しの裏に薄い紙片が折り込まれていた。栞ほどの小ささで、外からはまず気づかない。朝陽は慎重に開き、文字を追う。 読み終えた瞬間、背中に小さな冷たさが走った。 『この本を戻したのは、偶然じゃない』 それだけだった。署名も日付もない。けれど、ただの落とし物やメモには見えなかった。折り目が妙にきっちりしていて、誰かが意図して押し込んだとしか思えない。 「未菜さん、これ……」 朝陽が差し出すと、未菜は一瞬だけ目を細め、それからすぐに平静を装って受け取った。 「へえ。珍しいね」 「珍しい、で済むんですか」 「済まないから、相談室があるの。変なものが混ざることはある。でも、最初に見つけたのが朝陽くんでよかった」 その言い方が、なぜか妙に引っかかった。未菜はすぐにメモを伝票の上に伏せ、次の箱を開けるよう顎で促す。 朝陽はうなずいたものの、手の動きは少しだけ鈍くなった。静かなカウンターで、箱の底を漁る音だけがやけに大きく響く。ページをめくるたび、紙の擦れる音が耳に残る。 二つ目の箱、四冊目。五冊目。特に異常はない。だが、何冊かに一度、同じような違和感が胸の奥をかすめた。誰かが本を返す、その裏に、別の意図をそっと滑り込ませているような感覚。 朝陽は箱を閉じ、息をついた。 「相談室って、こういうのも扱うんですね」 「扱うというより、拾い上げる、かな」 未菜はそう言って、メモのない本を丁寧に積み直した。 朝陽はまだ、箱の中に残る紙の気配を見つめていた。書店の夜は静かだ。だからこそ、ひとつ余計なものが紛れ込んだだけで、空気の形が変わる。その不自然さが、これから先の仕事を、ただの返本整理では終わらせない気がした。

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