エラベノベル堂

雪圧ダム 潜歴調査

全年齢

小説ID: cmnepuw9l000i01nwgtbk2q12

10章 / 全10

夜のうちにまとめられた資料は、翌朝には記者会見用の机に積み上がっていた。県の担当者、本庁の技術部、管理所の所長、そして澪。並んだ顔ぶれの中で、自分だけが場違いに若い気がしたが、もうそんなことを気にする場所でもなかった。事故の経緯、記録の欠落、旧設備の不完全な封止、継続していた補修、毎年の水位変動との一致。読み上げられる事実は淡々としているのに、会場の空気は少しずつ重く沈んでいく。地元紙の記者が最初に口火を切り、その後は堰を切ったように質問が飛んだ。なぜ公表されなかったのか。誰が止めたのか。安全なのか。遺族への説明は。所長は途中で一度言葉を詰まらせ、それでも過去の対応は誤りだったと認めた。県は第三者委員会の設置と旧系統の全面調査、地域住民への説明会を約束した。  会見が終わるころには、白樺ダムの名はもう山の内側だけのものではなくなっていた。全国の配信記事に載り、消えた二人の名前もようやく公の場所へ戻された。寺の過去帳でしか行き場のなかった死は、半世紀遅れで、初めて事故として呼ばれた。  数日後、管理所の講堂で住民説明会が開かれた。怒号もあった。泣き声もあった。遅すぎるという言葉を、澪は何度も聞いた。そのたびに胸の奥が痛んだが、否定はできなかった。顧問の男は壇上で深く頭を下げ、自分が黙る側にいたことを認めた。沼田もまた、誤差として見過ごしてきた現場の一人として頭を下げた。澪は説明資料をめくりながら、真実は人を救う光ではなく、まず傷を見えるようにする刃物なのだと思った。  それでも春は来た。除雪の壁は日に日に低くなり、湖を覆っていた硬い色もやわらいでいく。旧放流設備は完全停止のための改修に入り、観測系統も更新された。地域との共同監視会議が立ち上がり、非公開だった記録の整理も始まった。表向きには、結末として十分だった。  だが雪解けの午後、澪が一人で湖畔に立ったとき、予想していなかった報せが携帯端末に届いた。保存資料室からの連絡だった。事故当時の上申不要という帳面の署名を照合した結果、記された名は上席のものではなく、当時まだ現場にいなかった人物の筆跡に近いという。つまり、最後の原本さえ、事故の直後ではなく後年に手を加えられていた可能性がある。  澪は水面を見た。風もないのに、解けかけた湖面がかすかに揺れた。半世紀守られてきた沈黙は、ひとつ暴かれて終わるような単純なものではなかったのだ。誰かを守るためではなく、誰も責任の形を見なくて済むよう、長い年月をかけて作り替えられてきた層。その最初の一枚を剝がしたにすぎない。  静かになったはずの水は、もう答えを返さなかった。ただ澪には分かっていた。受け継がれるべきなのは、判明した事実だけではない。まだ分からないものが残ることを、残ったまま記録し続ける姿勢そのものだ。  彼女は端末を閉じ、管理所への道へ向き直る。雪解けの光の中で、その一歩だけが妙に確かだった。終わったのではない。ようやく、隠さずに続けられる場所へ着いただけなのだ。

検閲済みプロット

雪国のダム管理所で働く女性オペレーターが、毎年同じ日に起きる不可解な水位変動の原因を調べ、半世紀前に記録から消された重大事故の真相を明らかにしていく社会派の土木サスペンス。

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