エラベノベル堂

雪圧ダム 潜歴調査

全年齢

小説ID: cmnepuw9l000i01nwgtbk2q12

9章 / 全10

美緒は監視室の卓上に、復元した記録と古い作業札の写しを並べた。雪の山は夜になると一層静かで、窓の外に映る照明の輪だけが、白い闇に浮かんでいる。紙の端を押さえる指先が冷たい。だが今は、その冷たささえ頭を冴えさせた。 「つながった」 ひとりごとのように漏らす。毎年同じ日の微細な水位変動、削られた運転ログ、改修図面の不自然な継ぎ目、そして旧監視坑の札に残っていた非常停止の遅れ。それらを重ねると、ひとつの形が見えてくる。あの変動は、ただの異常ではない。事故現場の封印を守るために、地下の流れが外へ向けた警告信号だった。 「封印……警告……」 美緒は息をのんだ。誰に向けてというより、忘れるなと、毎年同じ日にだけ鳴らしていたのだ。事故をなかったことにしないための、か細い合図。胸の奥が熱くなる。だが、次の瞬間だった。 扉の向こうで、靴音が止まる。 「藤崎」 所長の声だった。低く、硬い。 美緒は肩を強張らせる。 「こんな時間に何をしている」 「記録の照合です。もう、隠せません」 所長は入ってくるなり、机の上を一瞥した。復元した紙面、作業札の写真、旧い鍵束。視線がそれらの上をなぞるたび、空気が重くなる。 「それ以上触るな。データも全部消せ」 「消す、ですか」 「命令だ。余計なことを広げるな。山の安全を守るのは現場の判断だ」 「安全を守るために、隠してきたんですか」 「守るためだ」 所長の声が強くなる。けれど、美緒はもう引かなかった。 「守ったのは、事故の真実じゃない。誰かの都合です」 一瞬、所長の眉が動いた。図星を刺された顔だった。だがすぐに表情を戻し、机に置かれた記録へ手を伸ばす。 「渡せ。ここで終わらせろ」 「終わらせるのは、隠蔽のほうです」 美緒は紙束を抱え直した。心臓が速い。怖くないわけじゃない。それでも、ここで手放したら、あの脈動は本当に消されてしまう。 「藤崎、美緒」 所長が名字を噛むように言う。 「その証拠で何ができる。外に出たところで、ただの騒ぎになるだけだ」 「それでもいい」 きっぱり答えると、所長はしばらく黙った。やがて、ひどく静かな声で言う。 「なら、好きにしろ。ただし責任は取れ」 その言葉の冷たさに、美緒は背筋を伸ばした。責任なら、もう引き受けるしかない。机の引き出しを開け、彼女はデータの入った媒体と写しをまとめる。所長は止めない。ただ、監視盤の赤い表示灯を見つめたまま、硬い影のように立っていた。 美緒は荷物を小脇に抱え、監視室のドアへ向かう。開ける直前、振り返った。 「これで最後です。次に鳴るときは、隠すためじゃない」 所長は答えなかった。 扉の外は、息を呑むほど冷えていた。美緒は証拠を胸に抱え、白い夜へ一歩を踏み出す。

9章 / 全10

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