「やり直し、ですか」 誰かがこぼした声は、ロビーの高い天井へ吸われていった。深夜の大会ホールは、さっきまでの熱を少しだけ残しながらも、もう別の顔をしている。審査席の周辺では運営の人間たちが慌ただしく動き、星陵学院の名は、さっきまでまとわりついていた重さごと取り消された。 未來は握りしめた譜面を見下ろしていたが、やがて小さく息を吐いた。 「……勝った、って言っていいのかな」 「勝ち方はまだ決まっていません。でも、白嶺の音は残りました」 悠の言葉に、数人が顔を上げる。ロビーの外では観客たちがざわつき、さっきまで座っていた場所ごとに、口にする感想が少しずつ違っていた。 「前の席だと、あの旋律がすごく近かった」 「後ろはもっと広がって聞こえたよ」 「同じ曲なのに、別物みたいだった」 そんな断片が、波のように部員たちの耳へ届く。誰かが驚いたように笑い、誰かはまだ信じきれない顔のまま頷いた。 未來が悠を見た。 「本当に、席で違うんだね」 「ええ。違いは、失敗じゃありません」 悠は静かに答える。 「同じ演奏を見せたつもりでも、聴いた人の数だけ景色が分かれる。それを隠さずに出せたから、今回の白嶺は届いたんです」 「でも、それって面倒くさい武器だな」 「面倒くさいくらいでちょうどいいです」 少しだけ、場が和んだ。未來の口元にも、ようやく力が抜ける。 「星陵学院のやり方は消えた。なのに、あいつらに勝った実感より……うちの音が変わった実感のほうが強い」 「それでいいんです」 悠は譜面を胸元で押さえた。 「音楽は、一つの正解を押しつけるものじゃない。聴く人の耳の数だけ、景色を変えられる。白嶺はそのやり方を手に入れた」 未來はしばらく黙っていたが、やがて真っ直ぐ前を向いた。 「じゃあ、次もこれで行く」 「はい」 「全国でも、同じように?」 「同じように、ではなく、もっと遠くへ」 悠がそう返した瞬間、ロビーの向こうで保管用の扉が開く音がした。部員たちは反射的にそちらを見る。長い一日を終えたはずなのに、誰一人として完全には力を抜いていない。その緊張は、敗北のものではなく、次へ進むための形に変わっていた。 未來が楽器ケースを抱え直す。 「新しい武器、ね」 「ええ」 悠はうなずいた。 「行きましょう。全国大会へ」 白嶺高校吹奏楽部は、深夜のロビーを抜けるその一歩で、もう以前の自分たちではなかった。
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全国大会常連の高校吹奏楽部で、聴力に偏りを持つ新任指揮者が『客席ごとに違って聞こえる編曲』を武器に、名門校の不正審査へ挑む青春音楽劇。
