エラベノベル堂

客席ごとの祝祭曲

全年齢

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9章 / 全10

全国大会前日のリハーサル会場は、これまでのどのホールとも空気が違っていた。広いだけではない。音がいったん天井へ吸い上げられ、それから客席の奥でゆっくり形を変えて戻ってくる。澪は客席後方に立ち、舞台で鳴る基礎合奏を聴きながら、胸の内側が静かにざわつくのを感じていた。ここでは、青葉が積み上げてきたものがより鮮やかに現れるかもしれない。けれど同時に、異質さもまた隠しようがなくなる。 案の定、リハーサル後にすれ違った大会関係者のひそやかな声が耳に入った。 「面白いが、全国でやることかね」 「観客受けはするだろうが、評価は別だ」 足を止めなかったのに、その言葉だけが背中に貼りついた。部屋へ戻ると、すでに何人かが同じようなものを聞いていたらしく、空気は重かった。真壁が楽器ケースを閉じる音がやけに大きい。 「結局、そう見られるんだな」 杉本は笑うような顔をしていたが、目は笑っていなかった。 「ここまで来ても、変わり者扱いか」 追い打ちのように、引率の先生が運営資料の変更を伝えた。審査員の配置は最終的に中央に寄せられ、加えて表現に関する配点の説明が、事前文書よりさらに抽象的になっているという。独創性を見るとも、全体の均衡を重んじるとも読める、霧みたいな文面だった。部員たちの動揺は隠しようがなかった。どこへ向かって音を磨けばいいのか、その足場だけが急に薄くなる。 夜の最終確認で、篠崎は全員を舞台ではなく客席に座らせた。誰も言葉を発しないまま待っていると、篠崎は中央通路をゆっくり歩き、最後列で立ち止まった。 「不透明だと思うのは、たぶん正しい」 その言い方に、澪は少しだけ救われた。きれいごとで打ち消さないことが、いまはありがたかった。 「でも、だからこそ確認したい。みんなは誰のために、ここまで音を育ててきた?」 誰も答えない。篠崎は続けた。 「審査員に届く音は必要です。でも、審査員にしか届かない音楽なら、青葉がやる意味はない。前で輪郭をつかむ人がいて、端で色の移ろいを受け取る人がいて、後ろで低音に支えられる人がいる。その全部に、それぞれ違う形で残ること。それが僕たちの演奏の意味だ」 澪は客席を見回した。空席の一つ一つが、明日には別の耳で埋まる。中央だけではない。通路側も、二階の端も、扉の近くも、その全部が会場なのだ。 「評価は、音楽の一部を切り取る。でも演奏する僕たちは、最初から全体を渡せる」 篠崎はそこで初めて、少しだけ笑った。 「明日、もし迷ったら思い出して。勝つために狭くなるより、届くために広いままでいよう」 そのあと通した自由曲は、これまででいちばん静かな熱を帯びていた。木管の受け渡しは焦らず、それでいて芯を失わない。ホルンの和声は夕暮れの影のように差し込み、打楽器は見えない床を一枚ずつ敷いていく。澪は自分の旋律を吹きながら、ようやく不安を消そうとしなくなっていた。不安はある。その上で、それより広い音を鳴らせばいい。 最後の和音がホールの高みにほどけると、誰もしばらく動かなかった。結果のための前夜ではなく、自分たちの音楽の意味を確かめるための時間だったと、全員が同じように感じている気がした。澪は楽器を抱き直し、明日の客席を思った。どこか一つに正解があるのではない。無数の席で、それぞれ違う美しさが立ち上がる。その約束だけを胸に、彼女は静かに息を整えた。

9章 / 全10

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