エラベノベル堂

無音域を越える灯

全年齢

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5章 / 全10

格納区画に入ると、脱出用ポッドは眠った獣のように静かに横たわっていた。通常なら起動前の自己診断音が順に鳴るはずなのに、表示灯だけが冷たく点滅している。その沈黙は、ここがまだ細菌の縄張りの中にあることを教えていた。私は端末を主制御盤へ接続し、起動系の応答を確認した。案の定、認証回路の一部が極端に鈍い。音声系だけでなく、微細な振動で状態を読む補助センサーまで吸われている。 ハンセンは手順書のページを押さえ、ミラはポッド後部の配線盤を開いた。ユナは残った試薬を小分けし、レオンは入口から制御卓まで非常灯を一直線に並べる。帰るための光の道だった。私は先ほど吸い上げた環境記録を重ね、ポッド周辺の熱交換経路を見た。中央区画の奥で起きている温度の揺らぎが、ここにも尾を引いている。ならば逆に、その揺らぎを人為的に大きくできれば、細菌の膜を局所的にほどけさせられるはずだった。 私は保守盤の制御を呼び出し、冷媒の流れを断続運転へ切り替える案を示した。一定に冷やすのではなく、短く落としてすぐ戻す。凍らせるのではなく、足場を揺らすように。ハンセンが私の走り書きを読んで一度だけ強くうなずく。言葉はもういらなかった。ミラが配線を組み替え、ユナが噴霧器を構える。私が合図の光を一回、二回と振ると、冷媒が流れた。 白い霧のような曇りが床の格子と制御卓の脚に沿って走り、透明な膜が遅れて縮む。そこへユナの試薬が細かく散った。膜はかすかに虹を帯び、薄氷が春に割れるみたいに縁から崩れていく。私はその隙に承認コードを打ち込み、音声確認を迂回する保守命令を送った。主表示が一度暗くなり、次の瞬間、ポッド始動準備の文字が灯る。 まだ足りない。発進には中央ロックの解除が必要だった。しかも解除信号は基地中央区画を経由する。私は息をのみ、制御盤の波形を見た。沈黙の底で、細菌の密度がまた上がっている。中央の核がこちらの操作に反応し、機能を呑み込み返そうとしているのだ。 レオンが入口側を指さした。通路の床を這う透明な筋が、こちらへ伸びてきていた。迷う時間はなかった。私は熱交換ライン全体の負荷を一時的に偏らせ、中央区画に大きな温度差を作る非常手順を選んだ。成功すればロック解除の回路が数十秒だけ生き返る。失敗すれば、基地の他の系統が止まる。それでも今は、この静寂の心臓に揺さぶりをかけるしかない。 ハンセンの指が確認欄を叩き、私は実行を押した。表示は数値を跳ね上げ、中央系統の負荷が急変する。遠くで何か巨大なものが身じろぎしたように照明が明滅した。音はない。けれど、基地全体の空気がわずかに戻ってくる感覚があった。主表示の片隅で、中央ロック解除、待機中の文字が点く。 その瞬間、私たちは全員で制御卓へ身を寄せた。あと一手で、海へ向かう道が開く。

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