エラベノベル堂

動物園の観察会

全年齢

小説ID: cmnff0oyk000a01o7tkevs35h

6章 / 全10

午後の園内では、人間行動研究が思いがけない速度で肥大していた。最初はただの見物だったはずなのに、ライオンがあの少年は三度目の立ち止まりをしたぞと言えば、フラミンゴが写真を撮る前の肩の角度に意味があるに違いないと頷き、カメがそれは迷いと期待のあいだの揺れだと結論づける。誰も確かな根拠を持たないまま、しかし口だけは妙に真剣だった。 そこへ、園路の脇で作業していた飼育員たちが通りかかった。今日は案内板の差し替えと補修で、いつも以上に足早だ。動物たちは、その慌ただしい往来を新しい調査対象だと受け取った。ライオンは飼育員が何度も振り返るのを見て、あれは研究成果を確認する目だと低くうなった。フラミンゴは、バケツを抱えて急ぐ姿を見て、群れのために食料を運ぶ儀式だと解釈した。カメは、無言で頷き合う飼育員たちの顔を見て、重要な合図は言葉ではなく息の間にあるのだと納得した。 その誤解は、あっという間に園内へ広がった。ライオン舎の前にいた子どもが雄の大あくびをまねると、雄はそれを挑戦ではなく礼儀だと思い、堂々と同じ大きさであくびを返した。子どもは大笑いし、母親もつられて笑う。近くの学生はそのやり取りを見て、慌ててメモを取った。フラミンゴたちはそれを見て、筆記というより鳴き交わしに近い交流だと勘違いし、首をそろえて妙に規則正しい動きを始めた。撮影していた来園者たちは、画面に並ぶその姿に吹き出し、次々とシャッターを切った。 一方でカメの周りには、なぜか静かな輪ができていた。じっと動かないカメを見て、来園者たちも自然と声を潜める。カメはその沈黙を、敬意のかたちだと思った。そこでさらに背中を丸め、少しだけ目を閉じる。すると周囲の空気はますます穏やかになり、ベビーカーの赤ん坊まで眠りに落ちた。 けれど、誰も気づいていなかった。動物たちが一生懸命に人間を理解しようとするほど、人間たちもまた、動物たちの反応に笑顔を深くしていたことを。飼育員が通路の端で立ち止まり、今日の観察記録を確認していると、若い来園者がそっと言った。あのライオン、見てるこっちまで落ち着くね。別の学生は、フラミンゴの群れが人のまねをしているみたいだと笑い、年配の夫婦は、カメがこちらを見てくれるだけで不思議と安心すると話した。 その声が届いたのは、夕方の広場での短い紹介の時間だった。飼育員が今日の動物たちの様子を語ると、客席からは優しい笑いが起こる。そこで初めて、ライオンは理解した。自分たちが観察していたのは、人間の奇妙な行動だけではない。人間たちがこちらを見て、嬉しそうに表情をほどいていく、その変化そのものだったのだ。フラミンゴは羽を小さく震わせ、カメはゆっくりと首を伸ばした。見られていたのは動物だけではない。見ている側の心もまた、こちらに映っていた。 学生のひとりが最後にノートへ書き足したのは、研究結果ではなかった。違うもの同士が、同じ気持ちで笑うことがある。たったそれだけの一文だった。ライオンはそれを読めないまま、なぜか満足げに前足を組み、フラミンゴたちは空に向けて首を上げ、カメは石の上で深く息をついた。閉園の放送が流れ、来園者は名残惜しそうに出口へ向かう。 その列の最後にいた子どもが、振り返ってもう一度手を振った。カメはゆっくりと首を動かし、ライオンは大きくあくびをし、フラミンゴたちは一斉に羽ばたく代わりに、静かに体を揺らした。外と内の視線が重なるたび、園内は少しずつやさしくなる。人間を研究していたはずの一日が、いつのまにか互いを見つけて安心する一日に変わっていた。動物園は今日も、違う存在を面白がりながら、ちゃんと好きになっていく場所として、ゆっくり夕闇に沈んでいった。

6章 / 全10

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