エラベノベル堂

方言まちがい旅日記

全年齢

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1章 / 全10

美咲は駅を出た瞬間、空気の匂いが違うことに胸を躍らせた。東京の湿った風とは少し違う、冷たく澄んだ朝の空気が、旅の始まりをきりりと締めてくる。大学の長い休みを使って、東北をひとりで巡ると決めたのは、去年から気になっていた土地の言葉に触れてみたかったからだ。ガイドブックに線を引いた名所を回るだけの旅でも、耳に残る一言があれば、それだけで忘れられない景色になる気がした。 最初に入った食堂では、年配の店主が温かな声で迎えてくれた。美咲が注文を終えると、店主は笑いながら 「うんめがったら、もっと食ってけ」 と言った。美咲はその言葉に反応して、慌てて両手を振った。もうお腹いっぱいです、という意味で断ったつもりだったのに、店主は目を丸くして、それから大きく笑った。どうやら彼女の返事は、ずいぶん遠回しな断り方に聞こえたらしい。美咲は顔を赤くしながらも、言葉の響きがやわらかくて、つい頬が緩んだ。 その日の午後は、古い寺と川沿いの遊歩道を歩いた。途中で土産物店の若い女性に道を尋ねると、彼女は 「そこさ行ぐなら、途中で寄ってけ」 と自然に言った。美咲は、寄るというのは急げという意味だと勘違いし、早歩きで曲がり角へ向かった。ところが、案内された先は小さな展望台で、そこで見える夕景が見事だと教えたかっただけだった。息を切らして振り返ると、店の女性は手を振って笑っている。美咲もつられて笑ったが、旅はまだ始まったばかりなのに、こんな調子で大丈夫なのかと少し不安にもなった。 宿に入るころには、方言の面白さにすっかり夢中になっていた。耳で拾う音が、意味より先に気持ちを運んでくる。やさしい響きもあれば、急いでいるように聞こえるのに実は励ましだったりして、言葉は思っていた以上に表情があるのだと知った。夕食を済ませて部屋に戻ると、窓の外には暮れかけた町の灯がぽつぽつとともっていた。美咲は荷物からノートを取り出し、聞いた言葉を書き留める。明日もきっと、わからない表現に出会うだろう。それでも、わからないからこそ面白い。旅は順調で、少しだけ滑稽で、けれどそのぶん確かに自分のものになっていく予感がした。

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