エラベノベル堂

方言まちがい旅日記

全年齢

小説ID: cmnfnqs9q001y01o7cmj9rbtq

2章 / 全10

翌朝、美咲は海沿いの町へ向かった。駅前の観光案内所で地図をもらうと、机の向こうにいた男性職員が、紙の端を指で整えながら言った。 「この先は、今ちょっとてんやわんやでな。気をつけて歩いてけろ」 美咲は、てんやわんやという言葉に首を傾げた。何か大事なものを探している人が多いのだろうか。それとも祭りの準備でもしているのだろうか。深く考えずにうなずくと、職員はなぜか納得した顔になり、近くにいた商店街の人まで呼び寄せた。 昼前、通りを歩いていると、魚を並べていた店主に声をかけられた。 「あんだ、さっきから何さ探してんだ?」 「探してる、ですか?」 「そうだべ。大事なもん、なくしたんだべ?」 美咲は慌てて首を振った。観光で来ただけです、と言ったつもりだったが、店主はますます真剣な顔になる。観光、という単語だけが妙に浮いて聞こえたらしく、誰かに頼まれて町の様子を見に来たのだと受け取られてしまったらしい。 それからは早かった。八百屋の女将は、昔この町で行方不明になった木箱の話を持ち出し、郵便局の人は、倉庫の鍵が見当たらない件を心配し、観光案内所の男性は、案内板の裏に貼られた古い紙片を見せてきた。紙片には、かすれた字で町の倉と浜をつなぐ昔の道筋が書かれていた。誰もが美咲に意味ありげな視線を向ける。彼女はただ、写真を撮って土産を選びたいだけなのに、なぜか町の秘密に触れた者みたいな扱いになっていた。 結局、美咲は広場のベンチで、集まってきた人たちに順番に説明することになった。何度も、旅の途中で寄っただけです、と言った。けれど話が終わるたびに、誰かが、いやでもあの道のことを知っていたのは確かだ、と口を挟む。気づけば、彼女のノートには見知らぬ人たちの証言や昔の地名が増えていた。 その中で、案内所の男性がふと笑った。 「美咲さん、さっきから探してる探してるって言われて、ほんとはこの町のこと探してるんだべな」 その言葉に、周りの空気が少しゆるんだ。女将が昔の道は子どものころ祖父に聞いた話だと打ち明け、店主は倉庫の鍵をとうに見つけていたことを思い出した。騒ぎの中心だと思われていたものは、ただの言葉のすれ違いだったのだ。 最後に職員は、てんやわんやは大騒ぎって意味だと教えてくれた。美咲が顔を真っ赤にして笑うと、商店街の人たちも一斉に笑った。誤解はほどけたのに、誰も気まずそうにはしない。むしろ、久しぶりに昔話をしたような温かさが残った。 夕方、美咲が駅へ向かうと、店主が袋いっぱいのりんごを持たせてくれた。 「また来いよ。今度は探しものなしでな」 「はい。今度は、もっと方言を覚えてきます」 その返事に、みんながまた笑った。電車が動き出す窓の外で、町の灯がゆっくり遠ざかっていく。美咲はノートを開き、今日覚えた言葉の横に、小さく書き足した。間違えたからこそ、見えた景色がある。言葉は違っても、気持ちはちゃんと届く。そして旅の終わりは、思いがけず次の始まりにつながっている。

2章 / 全10

TOPへ