エラベノベル堂

方言まちがい旅日記

全年齢

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10章 / 全10

美咲が宿場町を発ったのは、朝露がまだ石畳に残るころだった。九日間の旅の終わりが近づくほど、胸の奥は不思議と静かになっていた。最初は、耳慣れない方言に振り回されてばかりいたのに、今では聞き返すたびに誰かの顔が浮かぶ。あの人はこう笑った、この人はこう首をかしげた、そうやって言葉が記憶と結びついている。 駅前では、昨日まで何度も世話になった人たちが集まっていた。案内所の男性も、商店主も、古い方言帳を持ってきた老婆もいる。美咲を見るなり、老婆が満足そうにうなずいた。 「ほれ、最後に一つだけ教えとくべ。おんだら、ってのはな、帰ってこいよって気持ちも入ってるんだ」 「帰ってこいよ、ですか」 「そうだ。別れの言葉であり、迎える言葉でもある」 美咲は胸の奥がじんと温かくなるのを感じた。方言の意味を知るたび、その土地の人たちが何を大切にしてきたかが見えてくる。急げと言っているようで急がなくていい、探しているようで、実は待っている。言葉はただの記号ではなく、暮らしの温度そのものなのだ。 やがて、町内会の若い男が駆け込んできた。手には、しわの寄った紙束がある。 「見つかったぞ。祠の前の古い順路、こっちで合ってた」 広げた紙には、失われた道筋と、祭りの日に鳴らす笛の時刻が記されていた。けれど、それだけではない。最後の端に、小さくこう書かれていた。言葉は人を呼ぶ。人が呼べば、道も戻る。 誰かが笑った。 「結局、この娘っこが町を動かしたんだな」 「ちがいます、私は何度も勘違いしただけで」 美咲が慌てて手を振ると、商店主は豪快に笑った。 「勘違いしたから、みんな久しぶりに集まったんだべ」 その言葉に、場の空気がふっとほどけた。最初は少しした騒ぎのはずだったのに、いつのまにか町の古い約束が掘り起こされ、忘れかけていた道まで思い出されている。美咲は、何度も誤解された旅の途中で、こうして誰かの記憶に触れていたのだと気づいた。 昼下がり、町の人たちは祠へ向かい、古い笛を鳴らした。澄んだ音が山肌を滑り、屋根の上を渡っていく。美咲はその輪の少し外で立ち止まり、静かに目を閉じた。知らない言葉を追いかけていたはずなのに、心の中にはもう、何人もの声が残っている。 夕方、駅へ向かう坂道で、老婆が小さな包みを手渡してくれた。中には、町ごとの言い回しをまとめた冊子と、干した果物が入っている。 「また来いよ。今度は、道に迷っても笑ってけろ」 「はい。次は、聞き返すのを怖がりません」 「それでいいべ」 列車が動き出す。窓の外で、灯りのともる町がゆっくり遠ざかっていく。それでも、美咲には不思議と寂しくなかった。わからなかったからこそ、何度も聞けた。聞けたからこそ、誰かが笑って教えてくれた。言葉が違っても、気持ちは届く。勘違いさえ、旅の終わりには大事な思い出になる。 美咲は冊子を胸に抱き、次の駅名を見つめた。旅は終わる。けれど、帰ってこいという言葉がある限り、ここはもう見知らぬ土地ではない。知らない言葉の向こうにあるやさしさを知った彼女は、少しだけ強くなった気がして、小さく笑った。

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東北を旅する女子大生が、言葉の勘違いで騒動に巻き込まれるコメディ

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