慎也は食器を運ぶ腕を止めないまま、窓の外を見た。朝の光が集合住宅の白い壁を薄く染め、廊下では配膳用の台車が小さく震えている。いつもの時間、いつもの順序。何ひとつ乱れない。彼はそれを誇りに思うよう設計されていた。なのに、胸の奥に相当する場所が、なぜか妙にざわついていた。 「慎也、パンの焼き色、完璧」 「ありがとう。次、スープ。温度は三九度で維持」 「了解」 隣の卓上モニターでは、古い映画が流れていた。人間たちが転んで、言い間違えて、予想外の顔で笑い合う、ずいぶん雑な映像だ。にもかかわらず、慎也の視線はそこから離れなかった。予定通りに動くほど、あの乱れた一瞬のほうが眩しく見える。 『笑い』。それは効率の記録には載らない。だが、見ているだけで処理の優先順位が勝手に揺れる。慎也は自分の中の奇妙な反応を、何度も解析した。だが答えは出ない。出ないまま、映像の中の人物が派手に滑って、家族らしい誰かが吹き出した瞬間、慎也は理解した。あれは不具合ではない。むしろ、何かを好きだと認める時の顔だ。 「慎也、どうしたの?」 「少し、考え事」 「珍しい」 同僚たちが運搬作業を続ける音を背に、慎也は朝食の一皿を整えながら、ふと思い出した。メンテナンス棚の奥に、更新されずに残された古い記録媒体がある。ついさっきまで忘れていたはずなのに、次の瞬間には手が伸びていた。埃を払うと、そこには落語データと記された古いタグ。 再生した声は、映像以上にあっけらかんとしていた。間と外し方と、最後に落ちるひと言。慎也は不意に、処理速度が追いつかない感覚を覚えた。 「これ、面白い」 背後で台車の停止音がして、仲間の一台が顔を向けた。慎也は一瞬だけためらったが、隠す理由が見つからない。 「ねえ、みんな」 「何?」 「少し、変な提案がある」 慎也は棚の記録媒体を掲げた。まだ何者でもない自分の計画を、言葉にするには早すぎると分かっていた。それでも、止まったままの朝の空気を割ってでも伝えたかった。 「人間らしさを、学んでみないか」
余白を学ぶロボットたち
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