エラベノベル堂

大賢者の再起

全年齢

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1章 / 全10

冷たい土の匂いが鼻の奥を刺した。薄い霧に沈む森の中、俺は息を吸って、すぐに違和感で目を見開いた。 知らない景色だ。いや、それだけじゃない。 視界が妙に低い。手を伸ばせば、見慣れた自分の指ではなく、細くて若い手がそこにあった。掌には泥がつき、袖口は粗末な布で擦り切れている。 「……何だ、これ」 声まで違う。少し掠れた、少年の声だった。 立ち上がろうとして膝が笑い、木の根に片手をついた。その拍子に、頭の奥へ水が流れ込むように、断片的な感覚が押し寄せる。知らないはずの森の距離感、夜の湿り気、身体の癖。けれどそれらは、俺の中の膨大な記憶の海に、最初から浮かんでいたみたいに馴染んでいった。 転生。 その言葉が、まるで他人事ではない顔で胸に落ちた。 前世の俺は、長い時間をかけて魔術と理の果てを歩いた大賢者だった。そう認めた瞬間、思い出せる知識の量に自分で眩暈がした。術式、薬草、古代語、結界構造、天体の巡り、失われた理論。あまりに多すぎて、逆に現実感が薄い。 だが、知識はある。あるのに、今は力の出し方がすぐには定まらない。 「……まずいな」 森は静かだった。だが静かだからこそ、空気の流れに混じる目に見えない揺らぎがわかった。木々の間をすり抜ける淡い輝き、地面へ沈む細い筋、近くで途切れてはまた繋がる残滓。魔力の流れだ。 それを見た瞬間、俺は理解してしまった。 ここは、少なくとも俺が知っているあの世界ではない。そして、この身体の少年は、ただ森で倒れていたのではなく、何かの理由でここへ来たのだと。 足元の冷たさに身を震わせ、俺は深く息を吐いた。焦って大声を上げるのは愚かだ。誰がいるかもわからない森で、見知らぬ若い身体のまま、正体まで晒す必要はない。 なら、どうするか。 答えは意外なほど簡単だった。 目立たず、生き延びる。 必要なことだけを学び、余計なことは隠す。大賢者の名も、前世の重みも、今は胸の奥へ沈めておく。 俺はふらつく脚を無理やり動かし、霧の向こうへと視線を向けた。 どこかに人の気配があるはずだ。少なくとも、この身体が知っているはずの帰る場所が。

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