エラベノベル堂

大賢者の再起

全年齢

小説ID: cmnfntitu002f01o7hh7ozrpw

2章 / 全10

足元の獣道は細く、朝露を含んだ草が靴にまとわりついた。俺は霧の薄い森を抜けながら、折れかけた枝で地面を軽く叩いた。もし本当にこの身体がこの辺りの土地勘を持っているなら、無闇にさまようより、記憶を頼った方が早い。 案の定、木々の隙間が開けた先に、踏み固められた小径が現れた。人が通った跡だ。さらに進むと、森の端に寄り添うような小さな家が見えた。煙突からは細い煙が立ちのぼり、生活の匂いがした。 「……ここか」 口に出した瞬間、自分の声の幼さに少しだけ息が詰まる。だが、立ち止まっている暇はない。俺は戸口の脇にあった木桶を見つけると、近くの井戸から水を汲み、顔と手を拭った。冷たい水が肌を引き締め、思考まで少しだけ冴える。 家の中は質素だった。粗末だが手入れはされていて、寝台、炉、食器棚、そして使い込まれた包丁が並んでいる。俺は棚の端にあった干し肉と固い黒パンを見つけ、少しだけ口に運んだ。 「悪くない。……いや、十分だ」 空腹は、判断を鈍らせる。まずは最低限の生活を整える。火を起こし、飲み水を確保し、寝床を確保する。前世では何百回とやった準備だが、若い身体でやると妙に現実味があった。 炉に火を入れる手つきも、結び目を作る指先も、なぜか迷わない。知識が記憶の奥底から自然に浮かび上がってくる。魔術の理屈も、薬草の見分け方も、道具の使い方も、いちいち思い出すというより、最初からそこにあるようだった。 「……便利すぎるな」 思わず笑いそうになって、すぐに口元を引き締めた。便利であるほど、使い方を誤れば目立つ。目立てば、誰かに見つかる。誰かに見つかれば、この身体の正体にも近づかれる。 俺は窓辺に立ち、外の小径を見た。人影はない。森は静かで、風だけが葉を揺らしている。 ならば、決めることは一つだ。 俺は大賢者として振る舞わない。ただの、少し利口な少年として生きる。知っていることは隠し、必要な時だけ最低限を使う。もし前の俺を知る者がこの世界のどこかにいるとしても、今の俺は別人だと思わせる。 「正体は隠す。必要以上に関わらない。それでいこう」 呟きながら、俺は背負い袋の紐を結び直した。森の奥から吹いてきた風が、家の外壁をかすかに鳴らす。その音を聞きながら、俺は静かに目を細める。 生き延びるだけなら、できる。問題は、この静かな暮らしがいつまで続くかだ。

2章 / 全10

TOPへ