エラベノベル堂

大賢者の再起

全年齢

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2章 / 全10

大賢者として迎えられた翌日、俺は学匠院の中庭で最初の相談を受けた。朝露の残る石畳の端で、青い外套の庭師が帽子を握りしめている。彼の背後では、煉瓦造りの温室の窓がいくつも曇り、そこから甘い土の匂いが流れていた。 「見ていただきたいのです。昨日まで元気だった薬草が、今朝になったら一斉にしおれてしまって」 案内されて温室へ入ると、棚に並ぶ葉は確かに力を失っていた。だが病の気配は薄い。葉脈の色、鉢の水分、窓際の風向き、棚の配置。目に入るものを順に追ううち、頭の奥で知識が静かに組み上がる。ここで必要なのは強い魔術ではない。光と熱と湿り気の均衡だ。 俺は窓を半分だけ開け、布で一列の鉢を覆い、床下の通風孔をふさがせた。朝の冷気が入りすぎて、夜のうちに葉が冷え切ったのだと伝えると、庭師は目を丸くした。 「そんな簡単なことが」 「簡単なことほど、見落とされやすい」 半日もしないうちに、しおれていた薬草は葉先を持ち上げ始めた。庭師は何度も頭を下げ、昼には焼きたてのパンを抱えて礼に来た。小さな仕事だったが、人の顔が和らぐのを見るのは悪くない。 その翌週には、街の広場で起きた井戸の騒ぎを見てくれと頼まれた。水が濁る、子どもが泣く、商人が責任を押しつけ合う。俺は桶を引き上げ、底に沈んだ細かな砂と、近くの石畳の亀裂に気づいた。雨水が古い排水溝を通り、土を巻き込んでいたのだ。石を数枚外し、溝を掃除し、流れを別へ逃がすよう指示すると、濁りはゆっくり消えた。 「大賢者様は、目で世界を読むのですね」 若い商人にそう言われ、俺は答えに詰まった。読む、か。たしかに前世でも、言葉より先に空気を読む癖はあった。だがここでは、それが役に立つらしい。 評判は静かに広がった。畑の害虫、倉庫の湿気、夜ごと鳴る鐘の狂い。どれも大それた事件ではない。それでも人は困りごとを抱えたとき、最後には俺の部屋の前に立った。期待されることに戸惑いながらも、頼られる感覚は少しずつ胸に馴染んでいく。 だが、解けるたびに新しい違和感も増えた。なぜ俺はこれほど自然に答えへ手を伸ばせるのか。なぜ初めて見るはずの古文書の一節が、最初から頭にあるのか。夜、書庫の高い窓辺で灯りをともすたび、記憶の底から誰かの筆跡が浮かび上がる。俺自身のものではない気がするのに、知らない顔でもない。 ある晩、青年の案内で地下の保管庫へ降りた。そこで目にしたのは、封印された石箱と、そこに刻まれた円環の紋章だった。触れた瞬間、指先が熱を帯び、耳鳴りのような声が頭蓋を叩く。戻れ、という言葉に似ていた。あるいは、まだ早い、と。 俺は石箱から手を離し、しばらく息を整えた。理由はわからない。だが、この世界に来たのは偶然ではない気がする。助けを求める声がある限り前へ進もうと思った、その先に、何か大きな意図が潜んでいる。 温室の修繕費を渡しに来た庭師も、井戸の礼を言いに来た商人も、皆が同じ顔をしていた。安堵と、少しの畏れ。それを見送ったあと、俺は夜の回廊でひとり立ち尽くした。 知恵で解ける問題は確かにある。だが、知恵だけでは届かない謎もある。 それでも、今はまだ歩ける。誰かの暮らしを少し良くしながら、この力の正体へ近づけばいい。 そう思った次の瞬間、封印庫の奥から、ひときわ低い響きが鳴った。まるで、俺の目覚めを待っていた扉が、ようやく内側から呼吸を始めたように。

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