エラベノベル堂

灯台守の小さな選択

全年齢

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10章 / 全10

正人は返却された金属箱を両手で受け取り、古書店の棚のいちばん下、埃をかぶらない位置にそっと置いた。灯りを落としかけた店内には、紙の匂いと夜の静けさがゆっくり重なっている。 「これで、よかったんですよね」 そう確認すると、老婦人はカウンター越しに小さくうなずいた。 「ええ。もう、私の手元に閉じこめておく理由はないの」 正人は箱を見た。黒っぽい表面は使い込まれて少し柔らかい光を返している。失われたはずの手紙はもうない。代わりに、箱の中には再会した二人が並んで書いた、新しい約束の下書きが入っていた。 「新しい約束、ですか」 「昔の続きよ。今度は、誰かを待つためじゃなくて、町に残すためのね」 老婦人の声は穏やかだった。正人はその言葉を聞いて、胸の奥で何かが静かにほどけるのを感じる。あの箱は失せ物ではなかった。人と人のあいだに空いた時間を、そっとつなぎ直すための器だったのだ。 「最初は、ただの捜し物だと思っていました」 「でしょうね」 老婦人は少しだけ笑った。 「でも、あなたが見つけてくれたから、こうして終わらせられるの」 「終わらせる、というより」 正人は棚の箱を見つめた。 「町の中に戻す、ですね」 「そう。ちゃんと、ここに」 その返事に、正人はうなずいた。古書店は本を売る場所であり、読み継がれなかった物語を一時預かる場所でもある。箱を棚に置くことは、失せ物をしまうことではない。町が抱えてきた記憶のひとかけらを、誰かがいつでも手に取れる場所へ返すことだ。 老婦人が帰り支度を整えるあいだ、正人はレジ脇の古いノートを開き、今日のことを短く書き留めた。箱、感謝状、再会、寄贈。どれもただの単語なのに、並べると不思議な重みがあった。 「朝倉さん」 「はい」 「この店に置かせてもらえて、よかったわ」 「僕もです」 正人はそう答え、最後にもう一度だけ棚の箱を見上げた。やがて老婦人を見送り、戸口の錠を下ろす。店先の街灯が硝子越しに淡く揺れた。 静かに灯りを消すと、暗がりの中で箱の輪郭だけが、まだ確かにそこにあった。

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