エラベノベル堂

灯台守の小さな選択

全年齢

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9章 / 全10

控室の戸が、そっと開いた。 外の喧騒が一度だけ流れ込んで、またすぐに薄まる。正人は振り向いた拍子に、息をのんだ。 「……え」 老婦人の前に立っていたのは、青年でも咲でもない。見知らぬ顔だが、老婦人の表情だけが、まるで長い冬を越えた人みたいにやわらかくほどけている。 「遅かったわね」 そう言った声は、少し震えていた。 来訪者は一歩だけ近づき、老婦人を見つめたまま、何も言わない。けれど、その沈黙には懐かしさがぎゅっと詰まっていた。 正人は机の上の黒っぽい小箱に視線を落とす。これまでの断片が、控室の空気の中で一つずつ結ばれていく。箱は失われたわけでも、隠されたわけでもない。会えなかった時間を、会うための形に変えてきただけだ。 「もしかして……」 言いかけた正人の言葉を、来訪者が小さく笑って受け止めた。 「手紙より先に、顔を見たくなったんです」 老婦人が唇を噛む。次の瞬間、肩の力がふっと抜けた。 「本当に、来てくれたのね」 「今さら、手紙だけじゃ足りない気がして」 短いやり取りだったのに、そこには何十年分もの空白があった。正人は、そっと一歩下がる。こういう時、説明は邪魔になる。 外から拍手が聞こえた。誰かが状況を察したのか、いや、察したというより、ただ温度に引き寄せられたのかもしれない。控室の狭さが、急に祝福の輪みたいに感じられる。 老婦人が来訪者へ手を伸ばす。震えはまだ消えていない。それでも、その指先には確かな決意があった。 正人は、その瞬間に悟った。箱を探す依頼だと思っていたものは、最初から再会へ至る道だったのだと。失くしたふりをしたのでも、偶然辿り着いたのでもない。誰かが誰かを呼び戻すため、町の記憶ごと仕掛けた、静かな橋渡し。 「朝倉さん」 孫の青年が、安堵したように息をつく。 「……ええ」 正人はうなずきながら、静かな拍手に包まれる二人を見守った。まだ言葉にはならないが、箱の中に残された空白まで、きっとここで埋まっていくのだろう。

9章 / 全10

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