商店街のアーケードは、夕方になるといつも少しだけ眠たそうだった。シャッターの下りた店が並び、風が抜けるたびに古い看板が小さく揺れる。その静けさの中で、直人は足を止めた。電柱の根元に、紙片が一枚貼られていたからだ。 赤いマジックで書かれていたのは、たった一語だった。おかえり。 誰に向けたものか分からない。だが直人には、それが落書きにしては妙に丁寧に見えた。次の日、同じ通りのベンチにまた別の紙片があった。帰り道。そして、三日目には、灯りの消えた喫茶店の窓に、まだでしょ、という短い言葉が残されていた。 意味はつながらない。けれど断片が増えるほど、直人の胸には小さな引っかかりが膨らんでいった。まるで、町のどこかで誰かが、声にならない会話を続けているみたいだった。 直人は印刷会社で校正をしていた。言葉のずれを見つける仕事は得意だが、こんなふうに、意味より気配が先に残る文字は初めてだった。気になり始めると、通い慣れた道の景色まで違って見える。八百屋の前で立ち話をしている老婦人たち。駅前の花屋でいつも同じ花束を選ぶ青年。どの顔も、何かを言いかけては飲み込んでいるように見えた。 四日目、直人は貼り紙のそばで、紙袋を抱えた少女に声をかけた。 「これ、見ましたか」 少女は驚いたように目を丸くしたが、すぐに首を横に振った。 「でも、誰かが見てくれてるなら、消されないかも」 それだけ言うと、彼女は足早に去った。 消されないかも。直人はその言葉を、夜遅くまで机の上で反芻した。誰かが残しているのではない。誰かが残し続けている。まるで失われそうな何かを、必死に壁に縫い留めているみたいに。 翌朝、直人は町内会館の掲示板へ向かった。そこで目にした古い写真に、見覚えのないはずの懐かしさがあった。数年前の夏祭り。笑っている人々の端に、今は空き地になった場所が写っている。写真の裏には、薄く鉛筆で書かれた一文があった。 言えなかったことは、あとで届く。 直人は息をのんだ。誰が書いたのかは分からない。だがその字は、貼り紙の癖と似ていた。町の静けさの底で、長いあいだ封じられてきた言葉が、ようやく形を取り始めている。直人は掲示板の前で立ち尽くしながら、これがただの悪戯ではないと確信した。 誰が、何のために。 答えはまだ見えない。それでも直人の中で、探す理由だけははっきりしていった。町は静かで、静かすぎる。だからこそ、ほんの一片の言葉が、風より先に心へ届くのだ。
断片を結ぶ町
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