直人が掲示板の前から離れられずにいると、背後から控えめな咳払いがした。振り向くと、眼鏡をかけた女性が資料の束を抱えて立っていた。町の図書室で働く真琴と名乗り、彼女は掲示板の写真を見つめたまま言った。 「それ、去年から少しずつ増えてるんです。意味のない落書きだと思われていたけれど、どうも違うみたいで」 真琴は古い新聞の縮刷版を貸してくれた。直人は閉館ぎりぎりまで紙をめくり、祭りの記事や寄付の告知、数年前の火災の記録を拾い集めた。そこで何度も目にしたのが、町のはずれにあった写真館の名前だった。今は空き地になっている場所だ。記事の端には、小さな補足として、閉店理由をぼかすような短い文が並んでいた。 翌日、直人は空き地の前で、紙袋の少女に再び出会った。彼女は名札のない保育園のエプロンを抱え、周囲を気にしながら小声で言った。 「貼ってるの、たぶんうちの祖母です。でも悪いことじゃないの」 少女の祖母は、かつて写真館で働いていたという。火災の夜、向かいの家にいた病気の少年を呼びに行けず、代わりに写真館の人が走って助けに行った。だがその後、少年の家族は写真館のせいで火が広がったと信じ込み、町の空気もそれを止められなかったらしい。 「本当は、誰も責めたくなかったんだと思う」 少女は言った。 「でも、言いそびれたまま、みんな違う方を向いちゃった」 直人は胸の奥で、点と点が結ばれていくのを感じた。おかえり、帰り道、まだでしょ。どれも誰かを呼ぶ声であり、置き去りにされた言葉だったのだ。 だが真実が見えたからといって、そのまま紙にして貼れば傷が開く。真琴もそれを知っていた。三人は図書室の奥で、古い寄せ書きや町内会の記録を見比べ、言葉をそのままぶつけずに伝える方法を探した。直人は校正の仕事で身につけた癖で、過剰な言い回しを削り、必要なところだけを残していく。 夕方、商店街に新しい掲示が出た。そこには長い説明はなく、ただ、あの夜に走った人がいたこと、誰かを助けようとしたこと、そして長く黙っていた家族がようやく声を出したことだけが、やわらかな文で綴られていた。 その夜から、紙片は少しだけ変わった。おかえり、の隣に、ただいまが増えた。帰り道の下には、まっすぐ歩けるように、という文字が置かれた。町のあちこちで、人は立ち止まり、読み、誰かの名前を思い出した。直人は最後の一枚を見上げながら、言葉は隠すためだけにあるのではないのだと知った。遅れて届く声もある。けれど届いたとき、それは誰かの背中を静かに押すのだった。
断片を結ぶ町
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