それからの数日、拓海は雪奈のことを考える時間が増えた。思い出すのは、まっすぐな目と、言葉を選ぶ間の短い沈黙ばかりだ。会えば腹が立つ。だが会わなければ、胸のどこかが落ち着かない。自分の中にある熱が、彼女に触れるたび少し形を変えるのがわかった。 図書館で顔を合わせたとき、雪奈はいつものように静かだった。けれど、借りたい本を探す拓海の手元を見て、ふいに言った。 「昨日、遅くまで仕事でした?」 「なんでわかるんですか」 「指先が荒れているから」 拓海は言い返そうとしてやめた。気づかれていたことが、妙に悔しくて、少し嬉しかった。雪奈は何でも見抜くわけではない。ただ、見えたものを見えたままにしておく人なのだ。拓海はそれが怖くて、同時に救われる気もしていた。 そのころ、職場では人員の配置換えが決まり、拓海は慣れた作業場を離れることになった。新しい現場は、人の声が多く、空気も落ち着かない。指示は飛び交い、誰もが少し余裕をなくしていた。拓海もまた、些細なことで苛立ちやすくなっていた。言葉が喉まで来て、飲み込むたびに胸の奥がきしむ。 そんな折、雪奈から駅前の喫茶店へ誘いの連絡が来た。断ろうかと思ったが、結局、拓海は閉店間際の店に足を運んだ。窓際には雨の名残があり、街の灯りがにじんで見えた。 「最近、疲れてますね」 雪奈は席に着くなりそう言った。 「誰のせいだと思ってるんです」 半ば冗談のつもりだったのに、声は思ったより硬かった。 雪奈は少しだけ目を伏せた。 「私のせいなら、話してくれていいです」 「そういうところが、苦手なんです」 「知ってます」 短い返事に、拓海は言葉を失った。雪奈は責めもしない。ただ、逃げ道だけを塞がずにそこに立っている。その姿勢が、かえって拓海の中の何かをざわつかせた。怒りではない。もっと危うく、もっとむき出しの感情だった。 その夜、店を出たあとも、二人はしばらく駅前を並んで歩いた。人の流れに逆らうように、ゆっくりと。雪奈が急に立ち止まって、空を見上げる。 「拓海さんは、ほんとは何に怒ってるんですか」 拓海は答えられなかった。仕事でも、生活でもない。言葉にできない何かが、常に自分を急かしていた。誰かに届くはずのない叫びが、体の奥で形を変えずに残っている。 やがて雪奈が静かに言った。 「無理に整えなくてもいいですよ。崩れないようにするのは、ひとりで抱えるためじゃないです」 その言葉は、拓海の胸に深く沈んだ。彼は初めて、自分の中の熱を否定しないまま、誰かの前に置いてみたいと思った。けれど、その瞬間、駅の向こう側で見慣れた同僚の姿が目に入った。こちらへ向けられた視線は、ただの偶然には見えなかった。拓海は思わず雪奈のほうを見た。雪奈もまた、その視線に気づいていた。
衝動の向こうで
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