「よし、今年も頼むぞ」 高梨拓人は、朝露の残る畝のあいだを歩きながら、摘み取ったばかりのトマトをそっとかごへ入れた。手に伝わる温かさに、思わず口元がゆるむ。夏の収穫期は忙しい。だが、こうして自分の育てた実を一つずつ集めていく時間は、嫌いではなかった。 ところが、その一粒がかごの底へ転がった瞬間だった。 『やっと外の空気だー!』 拓人の指が止まる。耳を疑った。今、明らかに聞こえた。しかも、目の前の真っ赤なトマトから。 「……は?」 もう一度見下ろす。つやのある皮、少しだけ丸い肩。どこからどう見ても、ただのトマトだ。だが、かごの中のそれはやけに元気な声で、勝手に続けた。 『閉じ込められてたの、長かったんだよね。あー、風がうまい!』 「待て待て待て、今しゃべったよな」 拓人は思わず左右を見た。広い畑には自分のほかに誰もいない。朝の空気は静かで、風の音と、遠くの鳥の鳴き声だけがある。 すると今度は、隣の畝から不満げな声が飛んできた。 『ちょっと、それだけで満足しないでよ。こっちはこっちで、朝から直射日光で大変なんだけど』 振り向くと、葉の影に半分隠れたきゅうりが、まるでむくれているように見えた。もちろん、見えた気がしただけかもしれない。だが声ははっきり聞こえている。 『毎年毎年、トマトばっかり先に褒められてさ。こっちのほうが伸びるのだって苦労してるんだから』 「文句まで言うのか……」 拓人は額を押さえた。去年までは、収穫した野菜が妙に独り言を言うような気がして、疲れているせいだと片づけていた。だが、今日は違う。最初の一個をかごに入れた、その瞬間から始まっている。 かごの中のトマトは、まるで外の世界を初めて見た子どものように騒ぎ、きゅうりは隣の畝から負けじと口を出してくる。 拓人はゆっくり息を吐いた。 「……平穏な朝って、こういうことじゃなかった気がするんだけど」 『え、何? 聞こえてるの?』 トマトがぴたりと黙る。 きゅうりも、葉を揺らして小さく言った。 『まずいかも。こいつ、こっちの声が分かる』 拓人はかごを抱え直し、畑の先に並ぶ無数の緑と赤を見渡した。静かなはずの収穫の朝が、もう終わってしまったことだけは、はっきり分かった。
しゃべる野菜の収穫日
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