夕方の空は、署の中庭に長く影を落としていた。整えられた植え込みの端で風が揺れ、彩は胸の奥で鳴り続ける鼓動を押さえながら、慎吾の隣に立った。亀の着ぐるみを脱いだはずなのに、さっきまでの滑稽な熱だけがまだ身体に残っている。 「本当に、ここでいいの?」 彩が小さく尋ねると、慎吾はうなずいた。 「来る。あの帳簿と映像がある以上、もう逃げ切れない」 彼の声は静かだったが、目は一度も逸れない。彩は封筒に入れた帳簿の写しと、慎吾が押さえた映像証拠を握りしめた。これで終わる。そう思うと、怖さより先に妙な実感が胸に落ちた。 足音がした。振り向くより早く、黒幕が中庭へ踏み込んでくる。彩は反射的に息を止めた。 「まだ若いのに、無茶をする」 低い声が、乾いた風みたいに広がる。 彩は一歩前へ出た。 「無茶じゃないです。あなたたちが隠したものを、私は見つけました」 「証拠なら潰したはずだ」 「潰せてません。帳簿も、映像も、ちゃんと残ってる」 慎吾が静かに端末を掲げる。映像の中では、父の事件の夜に行われた不自然なやり取りが映し出されていた。さらに帳簿の記録が、改ざんされた流れと現場の隠蔽を裏づける。黒幕の顔から、初めて余裕が消える。 その瞬間、周囲の気配が一斉に動いた。署員たちが現れ、黒幕は退路を失う。 「動くな」 短く響いた声に、彩は肩を震わせた。けれど、もう怯えだけではなかった。父の死は事故ではない。組織ぐるみで塗りつぶされた真実だった。 「お父さんは、あの日ここで終わったんじゃない。終わらされたんだ」 慎吾の言葉に、彩は目を伏せた。悔しさと安堵が胸の中でぶつかり、息が少し苦しい。それでも、ようやく追いかけ続けたものの輪郭が、はっきりと見えた。 やがて黒幕は取り押さえられ、騒然としていた中庭にも、ゆっくりと静けさが戻っていく。彩は膝の力が抜けそうになるのをこらえ、慎吾の袖をつかんだ。 「……終わった、のかな」 「ひとまずはな」 慎吾が少しだけ笑う。その笑顔を見た途端、彩の胸の奥で張りつめていた何かがほどけた。 「私、復讐したかっただけじゃないのかもしれない」 「うん?」 「これからは、未来を一緒に歩きたい。復讐じゃなくて、ちゃんと前を向いて」 言い終えた瞬間、頬が熱くなった。自分でも驚くほど照れくさいのに、言葉はもう戻らない。慎吾は目を丸くしたあと、ふっとやわらかく笑った。 「それ、俺も同じだ」 「……ほんとに?」 「ほんとに」 彩は息を吐き、こみ上げてくるものをごまかすみたいに視線を上げた。夕暮れの光の中で、慎吾は変わらずそこにいる。 「今度こそ、亀でもいいから前に進む」 自分に言い聞かせるように呟くと、慎吾が肩を揺らして笑った。 「十分だろ。亀は、止まらなければ前に進める」 彩もつられて笑う。ゆっくりでも、不器用でも、ちゃんと進めるのならそれでいい。中庭を渡る風が、もう怖くない。
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婚約者が実は父を殺した犯人だと知った女性警察官が、復讐を決意しつつもドジでのろまな性格のせいで空回りしながら事件の真相に迫るコメディストーリー
