「で、ほんとうに新人歓迎会でいいのか」 親方が個室の引き戸を見上げて言うと、先生は肩をすくめた。 「いいも何も、そう決めたんだろう。あの社長が」 「そこが引っかかるんだよ。歓迎される側が、いちばん張り切ってる顔をしてる」 ふすまの向こうから、笑い声と器の触れ合う音が重なって聞こえる。いつものカウンターとは違うが、空気の温度は少しも堅くない。むしろ、若い常連たちの明るさが、古い店に新しい湯気を足しているみたいだった。 社長は奥の席にどっかり腰を下ろしていた。欠けた一人ではない。場を渡す役目を終えた男が、今日は先頭ではなく、少し横にずれて笑っている。 「遅かったじゃないか」 社長が盃を持ち上げる。 「新人歓迎会のはずなのに、遅れて入る俺たちが歓迎されてどうする」 先生がそう返すと、若い常連の一人が恐縮したように頭を下げた。 「すみません、でも社長が、どうしても皆さんを呼びたいって」 「社長はやめろってば」 親方が笑うと、周りもつられて吹き出した。 「そうは言っても、もうその呼び名が板につきすぎてる」 「だったら、ここではそのままでいい」 社長はそう言って、隣に座る地域の人へ手を振った。 「今日は紹介だけで十分だ。細かい仕切りは若い連中に任せる。俺はもう、場所を空ける側だからな」 先生はその言葉を聞いて、ふと胸の奥が温かくなるのを覚えた。空ける側。追い出すのでも、消えるのでもない。誰かが座れるように、席を作る人間だ。 親方も同じことを考えたのか、珍しく素直な顔で頷いた。 「なるほどな。あんたが橋なら、渡るやつが増えても困らねえわけだ」 「橋ってのは、渡ってもらってなんぼだろう」 社長が笑うと、若い常連の一人が箸を置いた。 「じゃあ、私たちもその橋を、これから使わせてもらっていいんですね」 「使うんじゃない。渡し合うんだ」 社長の声は穏やかだった。先生は盃を手に取り、少しだけ目を細める。 「終わりじゃなくて引き継ぎ、だったな」 「そうだ」 親方が勢いよく頷く。 「なら今夜は、引き継ぎの始まりってことだ」 誰かが笑い、誰かが乾杯を促す。個室の中で、盃が何度も触れ合った。古い呼び名のまま残る三人の間に、見知らぬはずの若い顔が自然に並んでいる。 社長はその光景を見回して、満足そうに息をついた。 「悪くないな」 「何がだ」 「俺がいなくても、ちゃんと回りそうだ」 先生は、少しだけ言葉を探してから笑った。 「いや、あんたはまだここにいるさ。橋の真ん中で、でかい顔してな」 「それなら安心だ」 社長が盃を掲げる。 「さあ、新しい顔ぶれに、今夜のぶんを渡そうか」 その一言で、部屋の空気がひとつ明るくなった。老人たちは新しい居場所を得たまま、若い笑い声の中へゆっくり溶けていく。
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なじみの居酒屋で毎夜出会う老人3人組。互いに本名は知らないが、店での呼び名だけで親しくしている。突然『社長』と呼ばれていた一人が現れなくなり、寂しさを隠せない残りの二人が行方を探すが、意外な事実が判明するコメディ。ラストは老人に未来のある形にする。
