エラベノベル堂

居酒屋帰りの三人組

全年齢

小説ID: cmnhh6s51000001mo5ygzvfh0

9章 / 全10

「そろそろ帰るか」 親方が空になった盃を置くと、社長は苦笑して頷いた。公民館を出たあと、三人はいつもの居酒屋へ戻る流れにはならなかった。もう店は閉まり、夜の通りは静かで、足音だけがやけに響く。 暖簾の下をくぐれない分、酔いの名残が妙に長く感じられた。先生は上着の襟を立てながら、ぽつりと言う。 「社長、やっぱり今夜はいなかったことにしておくべきだったか」 「馬鹿言え。見つかった以上、言い訳も何もない」 社長はそう返したが、声はどこか遠かった。けれど次の言葉だけは、はっきりしていた。 「実はな、地域の会に若い世代をつなぐ役目が増えてきた。だから、しばらくは居酒屋通いを減らすつもりだったんだ」 親方の足が止まる。 「減らす、って……」 「完全にやめるわけじゃない。ただ、毎晩顔を出してるだけじゃ、次に渡す時間がなくなる」 先生は黙った。通りの向こうの街灯が、乾いた道路を白く照らしている。今まで当たり前だった三つの影が、急に二つになる気がした。 「じゃあ、あの席はどうなる」 親方が低く問う。社長は少しだけ肩をすくめた。 「終わりじゃなくて引き継ぎだ」 その一言に、二人はすぐには返せなかった。終わるという言葉より、引き継ぐという言葉のほうが、ずっとずるい。寂しさを消してはくれないのに、捨てることも許さない。 先生がふっと息を吐く。 「引き継ぎ、か」 「そうだ。人の集まりは、誰か一人で抱えるもんじゃない。俺がいなくなるんじゃない、次へ回すだけだ」 親方は苦い顔のまま、しかし目だけは少し和らいでいた。 「それなら、まあ……つながる話だな」 「やっと分かったか」 社長が笑うと、親方も鼻で笑い返した。先生はそのやり取りを見て、胸の奥の落ち込みが、少しずつ形を変えていくのを感じる。いなくなるのではない。渡していくのだ。そう思えた瞬間、空いた席の寒さが、ほんのわずかに和らいだ気がした。 「終わりじゃなくて引き継ぎ、ねえ」 親方が夜空を見上げる。 「言い方一つで、ずいぶん違うもんだな」 「違うさ。だから世の中は面倒で、面白い」 社長の言葉に、先生はつい笑ってしまった。三人の歩幅は、まだ乱れていない。だがその先にあるものが、今夜だけは少し見えた気がした。

9章 / 全10

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