エラベノベル堂

喫茶店のたい焼き事情

全年齢

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1章 / 全10

駅前の商店街を一本外れた通りに、その喫茶店はあった。古い木枠の窓に小さな看板、入口の脇にはなぜか鉄板が据えられていて、昼下がりになると甘い香りが路地へこぼれた。店の名は喫茶リラ。コーヒーと紅茶を出す、ごく普通の店であるはずだった。 はずだった、というのは、今ではもう半分ほど違っているからだ。客たちの目的は、いつの間にか店先で焼かれるたい焼きになっていた。初めて来た若い会社員はメニューを見て迷い、結局はたい焼きを二つ頼む。常連の婦人は今日こそはコーヒーだけにすると言いながら、焼き上がる匂いに負けて追加で一つ頼む。そんな光景を、マスターはいつも無表情に見送っていた。 マスターは口数が少なかった。だが沈黙しているだけで、何も見ていないわけではない。砂糖を入れる回数が人によって違うこと。席に着く前に窓際を選ぶ人は、だいたい帰り際に少しだけ寂しそうな顔をすること。待ち時間に手持ち無沙汰になると、初対面でも天気の話を始めること。そうした細かな癖が、湯気の向こうで次々と浮かび上がる。 今日も学生らしい二人組が、参考書を広げたままたい焼きを半分こしていた。片方があんこ派でもう片方がクリーム派で、言い争いのようでいて楽しげだった。隣では近所の老人が新聞を畳み、焼き上がりを待つ間に店内の時計を見上げている。その様子を見ながら、マスターは黙って次の型に生地を流した。 喫茶店らしからぬ賑わいは、少しずつ店の空気を変えていった。けれど不思議と、うるさくはならなかった。甘い匂いが誰の声もやわらげ、初めて会った客同士の距離までほどいてしまう。マスターはその変化を、苦い顔ひとつせず受け入れていた。むしろ、日々違う顔で現れる客たちの共通点を見つけるたび、ひそかに面白がっていた。 人は、思い通りのものではなく、少しだけ予定から外れたものに惹かれるのかもしれない。そう考えたとき、マスターは鉄板の上でふくらむたい焼きを見つめ、わずかに目を細めた。今日もまた、コーヒーの店にたい焼き目当ての客が並んでいる。店は静かなまま、しかし確かに、何かが始まりつつあった。

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