町外れの旧街道に、ひときわ目を引くつけ麺店が開いた。入口の格子戸は磨き上げられ、白木のカウンターには余計なものがない。店主はまだ二十代に見える端整な青年で、黙って立っているだけで、通りすがりの女性も男性も思わず足を止めた。開店初日から席は埋まり、昼どきには外にまで人が並んだ。評判は早く、麺はもちもち、つけ汁は濃厚で、食べ終われば誰もが満足そうに帰っていく。だが、常連が増えるほど、妙な噂も増えていった。あの店で食べると、なぜか目の前にもうひとり、やけに整った店員がいる気がする、と。最初は宣伝の見せ方だろうと笑われた。忙しい店で人が増えたように見えるのは、客の目の錯覚に違いない。だが、通い始めた若い会社員は、つけ麺をすすったあとに 「今日は店内が甘い匂いがした」 と言い、別の客は 「さっきまで隣にいた人が、急に知らない顔に見えた」 と首をかしげた。主人公の青年は、そんな話を聞いても眉ひとつ動かさなかった。客寄せになるなら、奇妙な噂も悪くない。だが夜、閉店後の静かな厨房で湯を落としていると、曇った鏡の奥に、見覚えのない美しい横顔が一瞬だけ浮かぶ。湯気が流れるたび、カウンターの端に置いた割り箸がもう一本増えている。誰もいないはずの店内で、掲示板の端に新しいメモが貼られていた。明日のおすすめは、少しやさしい味で。仕入れ帳には、客の好みを言い当てるような数字が増えていく。青年は初めて背筋に冷たいものを覚えた。店が客を集めているのではない。店そのものが、客の心を映しているのかもしれない。彼は古い帳簿をめくり、開店前に譲り受けたこの店の名を見直した。そこには、町で昔語りされる不思議な器の名と、似た響きが刻まれていた。
湯気の向こうのつけ麺店
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