エラベノベル堂

湯気の向こうのつけ麺店

全年齢

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2章 / 全10

「ちょっと待て。お前、完全に店員の顔してるじゃないか」 湊が声を荒げても、その男は涼しい顔のまま手元の水差しを傾けた。客のグラスに氷が触れ、からんと小さな音が鳴る。 「お水、お足ししますか」 「勝手に追加注文を受けるな」 「では、つけ麺をもう一杯」 「だからそうじゃない!」 客席からくすくす笑いが起きる。湊は額に手を当てた。最初の一杯で終わるはずだった静かな営業は、もはや跡形もない。しかも、さっきまで二、三人しかいなかったはずなのに、いつの間にか席は埋まりかけていた。 「え、ここ、そんなに人気なの?」 入口のほうで立ち止まった女性客が、店内を見回して目を丸くする。 「写真、撮っていいですか」 別の客がスマートフォンを構え、あっという間に小さな列までできた。湊は言葉を失った。つけ麺を食べに来たはずの客たちが、なぜか皆、あの男の立ち居振る舞いに夢中になっている。 男はというと、手際よく注文をまとめ、空いた席へ案内し、湊が運ぼうとした器までそっと受け取った。 「運ぶな。全部お前がやると、俺の店じゃなくなる」 「では、店主の仕事は何でしょう」 「麺を作ることだ」 「承知しました。では麺を頼みましょう」 「会話が通じてない!」 そのやり取りを聞いた客の一人が、感心したように頷く。 「本当に息ぴったりですね」 「夫婦漫才みたい」 湊は思わずむせた。違う、どこをどう見たらそうなる。 だが客たちの視線は、もう完全に男へ向いていた。整った横顔、無駄のない動き、礼儀正しい口調。湊の店で、湊以外の全員が得をしているような空気すらある。 「おかわり、お願いします」 「はい、こちらへ」 男が当然のように返事をするたび、湊の肩はじわじわ重くなった。止めたいのに、客は喜び、注文は増え、写真は撮られ、噂のようなものがその場で形を持ちはじめる。 「なあ、聞いた? 麺を頼むとイケメンが出る店だって」 「しかも店員みたいに働くんだって」 「まじで? 行くしかなくない?」 湊はその言葉を聞いて、ついに天を仰いだ。 「違う、違うから。俺は普通に、つけ麺を食べさせたいだけなんだ……!」 返事の代わりに、男がにこやかに器を下げる。その背中を追いながら、湊は確信した。もうこの騒ぎは、ひとりでどうにかできる範囲を軽く越えている。だが店内の熱は止まらない。麺をすする音と笑い声の中で、湊の店はいつの間にか、妙な評判をまといはじめていた。

2章 / 全10

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