最後の地形は、黒い背中をした岩山だった。朝霧に濡れた斜面はぬめり、荷車の車輪は砂利を噛んで嫌そうに鳴く。越えれば、いよいよ果ての平原だと三輪は言っていたが、その手前で石田が突然立ち止まった。 「待て。袋が一つ足りん」 「何の袋だ」 「干し芋だ」 「お前が持つと言ったのはどれだ」 「持った覚えはある」 そんな馬鹿な、と吉蔵が荷台をひっくり返すように探し始め、千代は地図を押さえながら辺りを見回した。望遠鏡の筒、湯のみ、鍋、折れた笛、誰かの帽子まで出てくるのに、肝心の干し芋は見えない。しかも石田は、空の袋を抱いたまま 「確かに入れた」 と言い張る。 「入れた先が違うのでは」 千代が呆れ声を漏らす。 その一言で、全員の目が同時に吉蔵へ向いた。吉蔵は首を振り、いや、わしではないと言いかけて、自分の背負い袋から別の袋を落とした。中から出てきたのは干し芋ではなく、町で受け取った小さな花束と、学者風の男にもらった地図の写しだった。 「なぜそんなものが」 三輪が眉を上げる。 「昨夜、間違えて入れたらしい」 「それでは芋が消えるはずだ」 「消えたのでなく、移ったのだ」 「どこへ」 全員で黙って探り、最後に千代が自分の腰布の結び目をほどいた。そこから、しわくちゃになった干し芋袋が出てきた。千代は赤くなりながら、ふいと視線をそらす。 「わたしが持つと言ったのを、誰も返事しなかっただろう」 石田が天を仰いだ。 「そんな細い声で言うからだ」 「細くて悪かったね」 怒鳴り合いが始まりかけたが、そのとき三輪が笑いをこぼした。堪えきれぬという顔だった。 「よい。これで全員が何かを失い、何かを拾った。旅らしいではないか」 その言葉で、険しかった空気がふっとほどけた。吉蔵は荷を詰め直しながら、干し芋をひとかけつまんで口に放り込む。 「うまい。まだ旅が続く味がする」 石田も笑い、千代もつられて吹き出した。四人が騒ぐ横で、学者風の男がいつの間にか追いついてきていた。彼は汗をぬぐい、荷車の上を見て目を丸くする。 「それだけの騒ぎで、まだ進めるのですか」 「進めるとも」 三輪が胸を張る。 「騒ぎながらでなければ、わしらは前へ行けん」 男は少し考え、それから自分の包みをほどいた。中には乾いた果実があり、六人へ差し出す。 「なら、これは手伝い代です。私も、まだ途中にいたい」 老人たちは顔を見合わせ、同時に笑った。失くしたと思った干し芋も、袋も、段取りも、結局は誰かの手の内に戻ってくる。そうして支え合ううちに、彼らは改めて知った。果てを目指しているのに、旅そのものから離れられないのだと。 荷車が岩山の道を越える直前、三輪が振り返った。朝の光の中で、みな少しだけ若く見える。 「さて、行こうか。まだ笑えるうちは、まだ旅ができる」 六人と一人は、今度こそ荷を軽くして、しかし心は軽くしすぎぬまま、最後の坂へ向かった。果ての向こうに何があるのかは、まだ誰にも分からない。ただ、道の上で右往左往し続けることこそが、彼らのいちばん確かな楽しみになっていた。
天動説老人の珍道中
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