エラベノベル堂

沈みゆく船と楽団

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2章 / 全10

レオンの合図は、先ほどまでの祝宴とは違う静けさを連れてきた。弦がそっと息を合わせ、木管が柔らかくその輪郭をなぞる。選ばれたのは、耳に残りやすく、胸の奥を急かさない曲だった。豪華な広間の片隅で、揺れるシャンデリアの下、音はひとつの布のように広がり、ざわつく客席をやさしく包み込んでいく。 だが演奏する側の心まで、音楽が即座に落ち着かせてくれるわけではない。ヴァイオリンを構えたソフィアは、弓を滑らせながらも、視線だけは何度も床へ落とした。さっきから足元がわずかに斜めだ。譜面台の影が、さっきより長く見える気がする。隣のチェロ奏者は、呼吸を整えるたび肩が小さく震えた。誰も言葉にしないが、全員が同じ不安を抱えているのが分かった。 レオンは指揮をしながら、客席の端に立つ船員たちへ目を向けた。彼らは乗客の案内に追われ、扉の向こうからは早足の靴音が絶えない。ここで止まれば、客はさらに怯える。だが演奏を続けるだけでは足りない。彼はほんの一瞬、棒を低く構えたまま迷った。音楽を守るべきか、人を守るべきか。答えはひとつではない。だからこそ、今は両方をつなぐしかなかった。 「弦は二列に分ける。管は短く刻んで、合図があればすぐ休め」 低い声が、流れる旋律の隙間を縫った。団員たちはすぐに意図を悟る。人数を絞れば、互いの呼吸が見えやすい。休む者がいれば、残る者がその空白を埋められる。打楽器の青年は、客席に響きすぎないよう毛布を被せたままリズムを刻み、ミナは息を浅くして、震えそうな指先を鍵盤の上に保った。 演奏を続けるうち、乗客の肩の力が少しずつ抜けていくのが見えた。泣き出しかけていた子どもが母親の膝に顔をうずめ、年配の紳士は帽子を胸に押さえたまま、音の流れに耳を澄ませている。音楽は波を止められない。それでも、人の心が波に飲まれるのは防げるかもしれない。 船のきしみが遠くで低く鳴った。レオンはそれを聞き逃さなかった。団員たちも同じ音を聞き、互いに目を合わせる。そこには初めての危機に対する戸惑いが、隠しきれないまま浮かんでいた。それでも視線が交わるたび、ひとつの決意が少しずつ形を持つ。この夜を越えるためなら、まだ音はやめられない。

2章 / 全10

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