エラベノベル堂

沈みゆく船と楽団

全年齢

小説ID: cmni96fmf003901mzv5g6q9og

3章 / 全10

船員たちの案内は、最初から順調ではなかった。廊下の先を示す腕は何度も行き先を変え、曲がり角ごとに別の声が飛び交う。避難を急ぐ足音と、どこへ進めばいいのか分からぬためらいがぶつかり合い、通路は細い川のようにせき止められていた。 その混乱を見たレオンは、演奏席に残る者を数人だけ残し、ほかの団員に目配せした。ソフィアが真っ先に譜面を閉じる。彼女は音の中では堂々としていたが、舞台の外では人前で言葉を失いやすい。それでも今は迷っていられない。彼女は裾を押さえ、傾く床を確かめながら客席の脇へ出た。 「こちらです。右は行き止まりです」 声を張ると、自分の声が思ったより細いことに気づいた。だが乗客は、それでも振り向いた。案内を求める目は、楽器よりも人の顔を探している。ソフィアはその視線の重さに息を呑み、次に来た家族連れへ手を差し出した。子どもが転びかけ、母親が青ざめる。彼女は床の傾きに合わせて歩幅を変え、壁際の手すりへ誘導した。 ミナもすぐに続いた。普段は舞台の奥で控えめに笑うだけの彼女が、今は驚くほどはっきりと声を出す。 「こちらの階段は使えません。あちらの扉へ進んでください」 その言葉は、旋律よりも短く、しかし確かな力を持っていた。彼女の目は怯えていたが、足は止まらない。かつて弟を失った夜の記憶が、胸の奥で静かに彼女を押していた。 通路に立って初めて、団員たちは知った。音楽は人を慰められる。だが、手を伸ばして支えることまで、最初から音だけに任せることはできないのだ。息が切れ、靴底が滑り、誰かの肩に触れたときの震えが伝わる。その生々しさは、舞台の上では決して届かなかった現実だった。 それでも、レオンが遠くで指を振るたび、残った楽団の旋律が廊下の隙間から細く流れ込んできた。案内する声と音楽が重なると、混乱の渦の中にも、進むべき一本の道が見えてくる。ソフィアは振り返り、暗がりの向こうで演奏を続ける仲間を見た。舞台はもう遠い。だが、その遠ささえ今は頼もしかった。

3章 / 全10

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