夕方の光が細い帯になって床を走るころ、ひなたは搬送台車を押しながら出荷記録の棚を覗き込んだ。束ねられた伝票は、表向きの製品数と実際の流れがひどく噛み合っていない。午前中に積まれたはずの箱が、帳簿ではまだ倉庫に残っていることになっている。逆に、書類上だけで何度も出荷された印だけが増えていた。 指先で紙の端を押さえ、ひなたは表情を変えないまま視線を走らせた。数が合わない。ではなく、合わなくていいように組まれている。誰かが間に入り、必要な分だけを抜き取っているのだ。しかも記録は一枚二枚のごまかしではない。流通量そのものが、工場の見た目よりずっと大きい。 背後で咳払いがした。振り返ると、監視役らしい男が腕を組んで立っていた。さっきまで誰とも話していなかったはずなのに、いつの間にかこちらを見張っている。 「そこ、長いこと触るな」 低い声に、ひなたは肩をすくめて紙束を抱え直した。 「すみません、並べ方がわからなくて」 わざと少しだけ頼りなく返す。相手の苛立ちがわずかに緩むのを感じ取ると、ひなたは頭を下げてその場を離れた。正面から疑いを向けられても、強く押し返せば警戒は深くなる。ここでは小さな失敗一つが命取りになる。 休憩室の前を通り過ぎると、複数の視線が絡み合った。笑っている者がいない。誰もが誰かを気にしている。現場の人間同士が互いを監視し、言葉より先に相手の顔色を測っていた。単なる密売組織にしては、空気が重すぎる。もっと大きな後ろ盾がある。ひなたはそう確信する。 資材置き場の奥で、彼女は壁際のわずかな隙間に気づいた。近づくと、床板の継ぎ目が不自然に新しい。押してみると、金具が小さく沈む。息を止めた次の瞬間、壁の一部が静かにずれて、細い通路が現れた。 秘密の搬入口だった。 冷えた空気が奥から流れ出し、ひなたは目を細める。搬入口の先には、表の出荷路とは別の流れがある。そこへ人目を避けて物が運ばれているのだ。さらに、近くの棚から拾った台帳の束には、見慣れない記号が並んでいた。数字の代わりの印、意味を持つようで持たない線。暗号化された帳簿。ひなたはそれを胸の内で繰り返し、記憶に焼きつけた。 奥へ進むにはまだ早い。だが、工場はもうただの隠れ蓑ではない。何かを隠すための仕組みが、何重にも張り巡らされている。ひなたは通路の闇を一度だけ見つめ、何事もなかった顔で台車の取っ手を握り直した。帰り道の足取りは、来たときよりもずっと静かだった。
白衣の潜入捜査官
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