「あの、すみません。こちらの本、返却ですね」 美咲はできるだけ声を抑えながら、カウンターに立った男性から本を受け取ろうとした。だが、指先が触れた瞬間、相手の呼吸が荒くなるのがわかった。 「……いい匂いだ」 「えっ?」 男性の瞳が、熱を帯びて揺れていた。美咲は思わず手を引き、後退る。しかし、その動きが逆に男性の視線を惹きつけてしまう。 「君、新しいスタッフ? こういう匂い、使ってるの?」 「な、何もつけてません。申し訳ありませんが、本をお願いします」 震える手で返却票を差し出すと、男性は名残惜しそうに本を置いた。その視線が首筋、鎖骨、そして胸の曲線を舐めるように移動する。美咲は背筋に悪寒が走るのを感じた。 これだ。いつもこうなのだ。 彼女には自覚がないまま、甘く、そしてどこか湿った花のような香りが体から発せられているらしい。本人にはまったく匂わないそれが、男性たちを狂わせてしまう。 「ねえ、休憩しない?」 「遠慮します。仕事がありますので」 美咲は逃げるように書架の奥へと向かった。背後から視線が突き刺さる。今日だけで三人目だ。閲覧室にいた学生、雑誌コーナーのサラリーマン、そして今の男性。全員が同じような熱っぽい目で彼女を見ていた。 「美咲ちゃん、大丈夫?」 同僚の女性が心配そうに駆け寄ってきた。 「また、あったの?」 「……うん。もう嫌だ。私、おかしいのかな」 美咲は自分の腕を抱きしめた。二十四年間、この体質に悩まされ続けてきた。香水も消臭スプレーも効果がない。むしろ、それらが香りを増幅させてしまうことさえあった。 「今日はもう上がりなよ。私がカバーするから」 「ありがとう、でも……」 その時、閲覧室の奥で争う声が上がった。先ほどの男性が、別の利用者と押し問答をしている。 「お前、さっきから彼女ばかり見てるだろ」 「うるさい。お前こそ、何度も声かけてただろう」 二人の視線が美咲に向く。欲望と敵意が混ざり合った、危険な光だった。
恥辱の果てまで
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