エラベノベル堂

吹き出す本音、未来を変える

全年齢

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1章 / 全10

夜の森は静かすぎて、焚き火のはぜる音までやけに大きく聞こえた。俺はひとり用のテントの前に折りたたみ椅子を出し、缶のコーヒーを片手に、ようやく来た休日を噛みしめていた。締め切りに追われる日々から逃げてきたはずなのに、頭の中では次の原稿の台詞が勝手に流れてくる。 「ここで主人公は逃げるべきだよな」 そう思った瞬間、焚き火の向こうに、白い吹き出しがふわりと浮かんだ。俺の顔の前に、漫画みたいな形で。中には、今口にしていないはずの言葉が、くっきりと並んでいる。 「え」 声まで出た。吹き出しは、俺の驚きに合わせるみたいに小さく揺れ、すぐに消えた。見間違いかと思って目をこすったが、次の瞬間にはまた別の吹き出しが現れる。 「まさか疲れてるだけじゃないよな」 誰に向けた言葉でもない。なのに、目の前で形になってしまう。俺は慌てて周囲を見回した。近くに人影はない。だが、隣の林の奥からカサ、と枝を踏む音がして、吹き出しはさらに震えた。 「やばい、見られたら終わる」 その文字が空中に浮かんだ直後、ポケットのスマホが震えた。画面には義理の妹の名前。既読も何もないまま、短いメッセージだけが届く。 今すぐ家宝のこけしを持っていて。絶対に手放さないで 続いて、さらに一通。 それがある限り、あなたはまだ間に合う 俺は唖然とした。実家の床の間に置かれていた、古びたこけし。父の再婚で家族になった義理の妹が、なぜ今それを知っている。しかも、どうしてキャンプの最中に。 テントの荷物袋をひっくり返すと、出発前に慌てて詰め込んだ小さな木箱が出てきた。中には、母方の家に伝わるというこけしが入っている。旅の縁起物代わりに持ち出しただけのつもりだったのに、手に取った瞬間、指先に妙なぬくもりが走った。 「なんだ、これ」 また吹き出しが現れる。 「俺、もう普通に独り言も言えないのかよ」 文字は少し歪み、焚き火の赤に照らされて揺れていた。俺は息を呑んだまま、こけしを抱え、スマホの画面を見つめるしかなかった。森の暗がりのどこかで、まだ見えない何かが静かにこちらを覗いている気がした。

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